コロナ禍で運輸・交通業界が苦戦を強いられるなか、埼玉西武ライオンズの本拠地であるメットライフドームの改修など西武鉄道は「攻めの経営」に転じている。喜多村樹美男社長(60)が考える沿線強化プランとは──。
──平成元年(1989年)当時、何をされていましたか。
喜多村:私は1984年に西武鉄道に入社しました。西武鉄道の駅係員から始まり電車の車掌や運転士、また夏には西武園ゆうえんちのプール営業など、入社3年半は様々な現場を経験しました。
その後は人事部や総務部で働き、平成元年を迎えた頃は総務部の主任でした。その翌年から16年半もの間、秘書課に在籍することになるとは想像もしていませんでしたが。
──16年半は長い。
喜多村:その間、色々な出来事がありました。2004年に有価証券報告書の虚偽記載が発覚し、堤義明会長が辞任、上場廃止となった時も秘書として立ち会いました。当時は大きな地殻変動が起きたような感じで、「このままでは鉄道会社として生き残れないのではないか」とさえ感じました。
その10年後の2014年に西武は再上場を果たしますが、その頃は上場準備室や人事部にいましたね。
──会社が存続の危機にある時期に、管理部門の中でどのようなことを感じたか。
喜多村:何より大事なのは、原点に立ち返って社会インフラとしての責任をきちんと果たしていくことです。
2011年の東日本大震災発生の時は、多くの帰宅困難者が発生する中で、早期に電車の運行を再開し、多くのお客様から感謝の声をいただきました。鉄道事業の社会的影響の大きさを痛感しました。