これらの区間での車窓からの眺めは素晴らしかったが、打ち寄せる太平洋の荒波は日高線に容赦なく襲いかかった。海岸浸食も極めて激しく、なかでも厚賀~節婦間では1951年から1959年までのわずか8年間で97mも海岸線が後退したという。砂浜が失われ、線路を守る護岸壁にまで迫った荒波は、護岸壁の基礎となる土砂を削り取っていく。その削られ方は1年に5cmほどで、護岸壁が崩れないよう、JR北海道、そして前身の国鉄は護岸工事を重ねて必死に守ってきた。結果的に、JR北海道は自治体に代わり、浸水被害を防いできたとも言える。
「キハ130形」は腐食が進み13年で全て廃車に
海沿いの地域にお住まいの方ならば、海水の浸入や塩分を大量に含んだ潮風がもたらす「塩害」の悪影響をご存じだろう。日高線でも塩害は過酷なものであった。1988年に新たに投入された「キハ130形」というディーゼルカーは、軽量化目的で車体に薄目の鋼板が用いられていたために、急激に腐食が進んだ。通常の鉄道車両であれば30年間は使用されるところ、使用開始から13年後の2001年までに全て廃車となったほどである。
四方を海に囲まれている日本において、日高線のように荒波との戦いに明け暮れる鉄道は多い。激しい海岸浸食によって砂浜が失われ、海岸線が線路まで接近した区間としては、JR東日本常磐線の末続(すえつぐ)駅(福島県いわき市)と広野駅(同広野町)間や、新潟県の海岸沿いを走るえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの市振(いちぶり)駅と親不知(おやしらず)駅間などが挙げられる。
塩害は、海岸から数km以内に敷かれているすべての区間で発生すると言ってよい。JRグループの鉄道技術総合研究所の調査によると、北海道のオホーツク海沿い、そして北海道から新潟県にかけての日本海側の塩害が最もひどく、被害が最も深刻な「SS地域」として最大級の対策が鉄道会社に呼びかけられている。