超高速で大容量の5G(第五世代携帯電話)サービスを世界のどこよりも安く提供すれば、そのインフラの上でさまざまな新しいサービスが生まれる。ネット産業で米国や中国に大きく出遅れた日本が一発逆転するには、それしかない。三木谷はそう確信している。
15年前のある日、孫正義は真夜中の自宅で受話器を握りしめていた。電話の向こうにいたのはNTT局舎の守衛だ。
この頃、参入したてのソフトバンクの携帯電話は「つながりにくい」ことで有名だった。通信設備の不具合で一部の地域が通話不能になることも珍しくない。この日はNTTの局舎に間借りしている設備が不具合を起こした。ソフトバンクの社員が駆けつけたが、門の前で押し問答になった。ソフトバンクの社員は「緊急事態なので、中の設備を修理させてくれ」と懇願するが、守衛は「NTTの許可がなければ入れられない」の一点張り。こんな時間にNTTと連絡が取れるはずもない。
「どうしても入れてもらえません」
困り果てた社員が孫の自宅に電話をすると、孫は「守衛と代われ」と命じた。社員が守衛に受話器を渡すと、孫は大声で捲し立てた。
「そこにいるのはウチの社員だ。怪しい者じゃない。頼むから局舎の中に入れてやってくれ。一刻を争うんだ。責任は俺が取る」
「責任を取るって、あんた誰?」
「俺は孫正義だあ!」
三木谷浩史と孫正義。IT産業を代表する二人の起業家の軌跡はこの四半世紀、交わっては離れ、また交わる、を繰り返してきた。
2004年、彼らは揃って日本のプロ野球界に足を踏み入れた。三木谷は東北初の新球団を設立し、孫正義のソフトバンクはダイエーホークスを買収。ベンチャースピリットに溢れた彼らは、球団経営でも凄まじい勢いで改革を進め、不人気だったパ・リーグを大いに盛り立てた。だが彼らの参入を皆が歓迎したわけではない。
二人がプロ野球に参入するきっかけとなった「ライブドアによる近鉄バファローズ買収」が表面化したとき、写真週刊誌に追い回された読売巨人軍のオーナー(当時)、渡邉恒雄はこう言い放った。
「ベンチャーだか便所だか知らんが、俺は不機嫌なんだよ!」
当時のベンチャー企業に対する見方を象徴する一言だろう。エリート層から見れば、自分たちが作り上げた秩序を乱す「海賊」に他ならず、既得権を脅かす敵である。