ネット検索で調べたものをツギハギにして文章をつくり、自分では考えずにレポートを作成する大学生も少なくないという。なぜそうした学生が増えているのか。経営コンサルタントの大前研一氏が、日本の教育システムの問題点を指摘する。
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文部科学省は、大学入試改革の柱として2025年以降の大学入学共通テストで予定していた国語・数学の「記述式問題」導入と英語の「民間試験」活用を断念する見通しとなった。
大学入試のあり方を議論している文科省の有識者会議が、記述式は「質の高い採点者の確保やミスのない採点、受験生による自己採点が難しい」「機密漏洩の懸念がある」「コストに見合わない」、英語民間試験は「地理的・経済的事情により不公平が生じる」「障害のある受験者への配慮が不十分」「目的や内容の異なる試験の成績を比較することの信頼性・妥当性が疑問」などと指摘し、いずれも「実現は困難であると言わざるを得ない」とする提言(原案)を示したからである。
導入を否定する結論を先(2019年)に出し、それを正当化するために意味不明の理由を並べる“後付け”のやり方は滑稽でさえあった。
もともと記述式と英語民間試験は今年から始まった大学入学共通テストで導入される予定だった。
しかし、公平・公正な採点や地域格差・経済格差への懸念など制度の欠陥に対する指摘が相次いだため、文科省は2019年に延期を決定し、同年末に有識者会議を設置した。
その時点で私は、「あまりにも杜撰で不可解な英語民間試験は、延期ではなく即刻『白紙撤回』すべき」「今回の大学入試改革は何もかもが受験生や教師をなおざりにした“生煮え”の愚策」と批判したが、有識者が1年半もかけて議論するまでもなく、導入断念は当然の帰結である。
この文科省の迷走に受験生、高校、教師、塾などが振り回されて大混乱してきたわけだが、そもそも記述式問題の導入については、根本的な誤りがある。
記述式を導入する目的は、○×のマークシート方式による暗記偏重を脱却し、自分の考えを論理的にまとめる思考・判断の能力や、その過程・結果を表現する能力の向上を目指すためだとされた。また、前述したように有識者会議が「実現は困難」と提言した要因の一つは「ミスのない採点が難しい」ことである。しかし、“答案が合っているかどうか”を判定して採点するのは、形式的には記述式でも本質は○×だ。思考力や判断力、表現力を問うと言いながら、結局「○か×か」を問うているのである。