コロナ禍はスポーツ業界にとって大逆風になった。東京五輪は無観客開催に漕ぎ着けたものの、この1年半で多くのスポーツイベントが中止を余儀なくされ、外出自粛や密の回避から、一般の人々がスポーツに親しむ機会も激減した。そうした中でスポーツ用品大手のミズノはどんな活路を見出していくのか。在任16年目を迎えた水野明人・社長(72)に訊いた。
──平成元年(1989年)当時は何をされていましたか?
水野:その頃はミズノの社名を世界へ発信していくのに恵まれた時期でした。1988年のソウル五輪では、当時契約選手であったカール・ルイス選手とフローレンス・ジョイナー選手が男女の陸上100mで金メダルを獲りました。
1992年のバルセロナ五輪では男子100m決勝に進出した8選手のうち、実に6選手がミズノを履いてくれた。プラザ合意(1985年)を機に始まった円高が、海外のトップアスリートたちとの契約の追い風になっていましたね。
──五輪は商機拡大の大チャンスですが、東京五輪は無観客開催になりました。
水野:無観客開催は仕方なかったとはいえ、世界中から集結したトップアスリートたちを生で観戦する機会は、一生に一度か二度ぐらいですからね。そうした興奮を日本の子供たちにも感じさせてあげたかったという無念さはあります。
──スポーツ熱の盛り上がりは、ミズノのビジネスにも直結します。
水野:コロナが猛烈な向かい風となったことは確かですが、そんな中でも社員が新たなビジネスを考え出してくれました。当社では「マスク」ではなく「マウスカバー」と呼んでいますが、昨年5月の発売からの累計販売枚数が1000万枚を超えました。
社員が「マスクを買えない」と騒いでいた頃、誰かが水着の素材でマスクを作ったという話を聞き、“水着ならウチの得意分野や”と。ちょうど水着素材の在庫がたくさんありましたからね(笑)。
普段はスポーツ用品という限られた市場でビジネスをしていますから、「1枚1000円の商品が1000万枚」というスケールには、私も驚きました。