現在、卵子提供で子供を持った人たちの自助グループ「アン・ネフェ」を立ち上げ、当事者の情報交換や悩み相談などに従事しているなかさんだが、かつては周囲にわが子を卵子提供で授かったことを伝えられなかったと振り返る。
「“どうせ理解してもらえないだろう”という思いがありました。SNS上では“卵子提供や精子バンクなんて子供がかわいそう”“親のエゴだ”と非難する人がたくさんいますから。でも、実際に身近なママ友同士では、不妊治療をした人もいるので、当たり前にわかってもらえたのです。
インターネットに掲載されていたコラムを読んだママ友から“本当に卵子提供なの? 目元がよく似ているから、全然わからないわね”と、アッサリ言われたこともあります」
そもそも、誰もが親の都合や希望、つまりエゴで生まれてくる。その経緯を責める権利は誰にもないし、自分が切望してわが子を授かったなら、方法が何であれ、後ろめたく感じる必要もないはずだ。
なかさんに、幸せを感じる瞬間について聞くと「子供に“ママ大好き”って言われたときですね」。ごく当たり前の、しかし何物にも代えがたい、親子の日常風景だ。その幸せは、がん治療から不妊治療、妊娠中の葛藤まで、卵子提供を決断せざるを得なかった人にしかわかり得ない苦悩の果てに、やっと手に入れた「当たり前」なのだろう。
生殖ビジネスの技術は、人類の希望であることは間違いない。だが、日本では特に「親子は血のつながりがあって当たり前」という価値観が根強い。たとえ幼い頃から出自を知っていても、親と衝突したときに「どうせ血がつながっていないから」と自暴自棄になる子がいるかもしれない。親に似ていない自分の容姿を嫌うようになるかもしれない。自然妊娠への嫉妬を克服できなかったり、周囲の無理解にさらされれば、出自そのものを恥じるかもしれない。