学生時代に避けては通れない苦手科目の授業。「数学は大人になったら役に立たない」「古文は必要ない」「世界史の授業が眠かった」など、勉学ばかりが苦い思い出として取り上げられがちだが、なかには「体育こそが意味不明だった」という人たちもいる。そして、運動が苦手な人にとっては、「体育」の授業が大人になっても“癒えない心の傷”として残り続け、思い出したくないものになっているのだという。そんな人たちに「体育が嫌いになった」エピソードを聞いた。
逆上がりができなくて今でも鉄棒は見たくない
鉄棒の逆上がりがトラウマになっているというのは、IT企業に勤務する30代男性・Aさん。逆上がりができないことで「晒し者」にされたことを振り返る。
「できない人は皆の前で何回でもやらされる。できる方法を教えてもらっても、そんなにすぐにできるわけもありません。どんなに頑張ってもできなくて、涙目で繰り返したことを覚えています。しかも厄介なのは、すでにできたクラスメイトたちから『○○くん、がんばれー!』と応援されることでした。かえってプレッシャーになるし、惨めでしかない。そんな状態なのに、逆上がりを連続で何回できるか、みたいな授業もあって、もうパニックです。学校に行きたくなくなるのはこういう時なんだなと思いました。大人になった今でも鉄棒は見たくありません」(Aさん)
Aさんは、ドッジボールも「地獄」でしかなかったと声を大にする。
「そもそも、他人の体に勢いよくボールをぶつけるのって、どうなんだっていう話ですよね。最近ではそれがSNSでも問題として取り上げられているようですが、本当にその通りだと思います。僕なんかはガタイのいい男子の剛速球が怖くて逃げ回り、よく集中砲火を浴びました。そのうち、さっさと当たって外に出るという処世術を学びましたけどね」(Aさん)
「限界を越えてからが本番だ!」精神論にうんざり
とにかく体育の授業が嫌いだったというのは、人材紹介会社に勤務する30代の女性・Bさんだ。複数の競技で嫌な思いをしたという。
「クラス対抗のバスケットボールをする時に、5チームくらい作ることになり、まずキャプテンを立候補と推薦で決定。そのキャプテンたちがじゃんけんをして、チームに入れたい子を順番にとっていくシステムがありました。私は運動が苦手なので最後まで残る羽目になりますが、『いらない子』感がエグいです(笑)。マット運動や跳び箱の“見せしめ”感も辛かったです。授業中、延々やらされるだけでうまくもならないし、倒立前転とか、跳び箱の台上前転とか、体操部の子だけやればいいじゃないですか。
水泳の授業でも、小学生の時は底に沈めたものをとってくる、みたいなゲームばかり。水に慣れるのは大切なことでしょうけど、肝心の泳ぎ方をきちんと教えてもらえた記憶がありません。泳げる子はみんなスイミングクラブに通っていました。スクール水着も嫌でしたね。今は学校によってはパンツタイプもあるようですが、私の頃もそういうものがあればよかったのに」(Bさん)