「厳しくて強気で勇ましいイメージの一方で、繊細で神経質、周囲から自分がどう見られているのかを気にする一面もありました。会見では質問に対して大上段に構えたりすることがありましたが、それぞれの記者の様子をしっかり観察していて、あまり質問をしない記者には“○○社の○○くんは、何も聞かなくていいの?”“○○くん個人の意見はどうなの”と名指しすることもありました。気配りの人でもあったんです」(全国紙記者)
都知事辞任後、国政復帰したが、2014年に政界を引退。以降は作家として、最後まで精力的に執筆した。昨年12月には全2巻の短編全集を発刊。脳梗塞の影響で、複雑な構成の漢字や仮名づかいが頭から抜け落ちた状態にあったというが、亡くなる直前まで原稿用紙に向かい、今後、3冊が出版される予定だという。
「建物を含めれば2億円をゆうに超える」
かねて石原さんは、自身の死後について周囲に漏らしていた。
「“遺産相続とか、死んだ後までガタガタ身内が揉めるのはカッコよくないよなあ”とよく言っていました。葬儀の仕方や自分の遺骨の扱い方まで、細かく伝えていたようです」(石原家を知る人物)
一昨年に出版した『死という最後の未来』(曽野綾子氏との共著)に、石原さんはこう綴っていた。
《別に葬儀場ではなくて、ホテルでやってもいいんですけどね。ああしろこうしろと伝えてあって、ヨットレースの優勝カップは必ず並べるように言ってある。(中略)それから音楽。流す曲も決めてあります。『海よさらば』》
豪快なイメージとは裏腹に、緻密な終活も進めた。神奈川・逗子に所有していた不動産を2014年に売却。ほぼ同時期に、自身の個人事務所も畳んだ。
「不動産をあちこちに所有したり、手広く投資して蓄財するようなタイプではありませんでした。だから政治家としてもお金には清廉潔白でしたが、莫大な遺産を残したということもないようです」(前出・石原家を知る人物)