HONDAとSONY。日本が世界に誇る自動車メーカーと電機メーカーの両雄が手を組み、次世代EV(電気自動車)事業で戦略的提携することを電撃発表した。夢のタッグの実現には、70年越しに結び直された創業者同士の絆があった。【前後編の後編。前編を読む】
本田がソニー本社を訪ねた
〈本田さんは、私にとって、かけがえのない兄貴であり、先輩でありました〉──井深大は本田宗一郎が亡くなった1991年に刊行した著書『わが友 本田宗一郎』で2人の友情をそう綴っている。
ホンダとソニーの創業はともに昭和21年、敗戦の翌年である。
自動車整備工場で修業した本田は浜松の町工場で自転車に50ccの小型エンジンを取り付けた「バタバタ」と呼ばれるモペットを考案し、大ヒットさせた。それが二輪事業に乗り出すきっかけとなる。本田はこう述懐している。
「だいたい、あれ(エンジン付き自転車)なんか、ヤミ米を運ぶために僕はつくったんだよ(笑)」(「実業の日本」2002年3月号/1959年の井深との対談の再構成記事)
その頃、井深は東京・品川に創業した「東京通信工業」(ソニーの前身)で電気炊飯器などの開発に取り組んでいた。
〈電気炊飯器といっても、木のおひつの底にアルミの電極をつけただけというしろものです〉(前掲著書)
この電気炊飯器がソニーの失敗第1号となる。
戦後の混乱期、柔軟で独創的な発想で商品開発に挑み続けた2人が最初に会ったのは、ソニーがトランジスタ(半導体)ラジオの生産に成功し、飛躍を始めた頃だ。井深が著書でそのときのことを振り返っている。
〈本田さんが、若い人を三、四人連れて、エンジンの点火技術のことで、ソニーの本社を訪ねてこられました。エンジンを点火するのに、トランジスタ(半導体)が使えないかという相談でした。(中略)そのころ自動車やオートバイにかかわっていた人で、車に半導体を使おうと考えた人は、おそらく本田さんひとりだったのではないでしょうか〉