あの時あの場所で、違う道を選んでいたらどうなっていただろう──。長く生きていれば、誰しもふと、そんな過去の出来事に思いを巡らすこともあるだろう。女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子さん(65才)も、若い頃に行った沖縄旅行で“人生の岐路”について考えさせられる経験をしたという。旅行が人生観を変える例として、オバ記者が当時のことを振り返る。
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始まったばかりのNHKの朝ドラ『ちむどんどん』は本土復帰前の1964年の沖縄から話がスタートすると聞いたときから、何やら私の胸もちむどんどん。いや……どんどんといっても「ドキドキ、ワクワク」ではなくて「ザワザワ」かしら。
沖縄返還のニュースをテレビで見たのは1972年で、私は15才。あの日から50年の歳月が流れたのねと思うと、月日の流れの早さに愕然とする。と同時に沖縄は、私にとって怖いところ、うかつに行くもんじゃないところ、という思いがある。22才の夏に初めて訪れて以来、長い間、この島には近づかなかったんだわ。
当時の私はフリーライターになりたてで、仕事といえば、男性週刊誌のデータ原稿と、ある企業広報誌のリライトで、ギリギリ暮らせるかどうか。そんな私に、旅好きの友人Y子が「沖縄に行こうよ」と誘ってきたの。
ちょうどANAの沖縄キャンペーンが始まったばかりで、駅には日焼けしたビキニの女の子が砂浜で釣り竿を持ってズドンと立っているポスターが張られていた。だけど、「行こう」と言われて、おいそれと行けるところではない。
同年代のY子とはマスコミ専門学校で知り合い、同じ北関東出身。そんなことからすぐに仲よくなった。私の親は「マスコミの学校? なんだ、そら? バカ言ってねえで真面目に働いて金貯めろ」というタイプ。お金に困ると私は彼女のアパートに行っては千円札を借りたりしていたの。それが積もって3000円。その借金を返すメドも立ってないのに「一緒に沖縄へ」と言われても……。