三谷幸喜脚本のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、人気俳優が演じる登場人物が続々と物語から退場している。いずれも史実に基づいたものではあるが、菅田将暉が演じた源義経、新垣結衣が演じた八重らの最期を惜しむ声は多い。そうしたなか、歴史作家の島崎晋氏は今後退場が確実な、ある登場人物に注目。5月の放送後にツイッターのトレンド入りも果たして注目を集めた「曾我兄弟」の復讐劇について綴る。
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NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で愛されキャラの「ロス」が止まらない。予告映像から予想できたことだが、5月29日放送の第21回ではついに北条義時(小栗旬)の最初の妻、八重(新垣結衣)が水難事故というかたちで退場。上総広常(佐藤浩市)や源義経(菅田将輝)のときと同様、視聴者のあいだに悲しみが広がった。
今後も断続的な「ロス」が繰り返されるはずで、源頼朝(大泉洋)の死以前に退場確定な人物の1人として、八重の従兄弟にあたる工藤祐経(坪倉由幸)を挙げることができる。
工藤祐経と言えば、5月1日放送の第17回で、2人の少年から石を投げられ、「人殺し」となじられる場面があり、ネット上では「曽我兄弟の仇討ちの伏線」との書き込みが多く見られた。
日本三大仇討ちの一つに数えられる「曽我兄弟の仇討ち」。実はこの一件は、当時の武士社会における相続の問題とも関連する。
武士の家で相続の対象となったのは家督(家長としての権利)と所領(土地)で、土地のほうは正妻の産んだ男子全員に分割相続されるのが慣例だった。一方、家督は嫡男(正妻の産んだ長男)を最有力候補としながら、最終的には当主の判断に任された。
平安時代末、伊豆国(現在の伊豆半島)の中部から東部を所領とした工藤祐隆(寂心)には男子が3人おり、先妻とのあいだに生まれた長男には河津荘、同じく次男には狩野荘、継娘(後妻の連れ娘)とのあいだに生まれた三男には伊東荘を与え、家督は三男に継承させた。この三男の子が工藤祐経である。
何事もなければ、祐経が工藤氏宗家の家督を継承するところ、祐経が9歳のとき、父が病のため急死。まだ所領の管理などできるはずもないから、伯父の伊東祐親(寂心の早世した長男の子)が代行を務めるが、祐親は祐経が成長してからも所領と実権を返さなかった。
京で平氏に仕えていた祐経は訴訟を起こすが、祐親の裏工作が京にも及んでいたことから、満足のいく結果を得られない。悶々とした日々を送っていたところ、祐経の長年の郎等(家来)が伊東祐親の子、河津三郎祐泰を暗殺。祐経自身もいち早く源頼朝に従ったことから、頼朝の鎌倉入りと祐親の没落以降、本来の所領を取り戻した上、頼朝の側近として羽振りの良い生活を送るようになった。