「有事の金」という言葉があるが、ウクライナ情勢の緊迫化で、安全資産としての金に注目が集まっている。古来、金は歴史を動かす原動力でもあった。歴史作家の島崎晋氏が、大航海時代にはアメリカ大陸到達の契機ともなった「黄金の国ジパング」伝説の起源を考察する。
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15世紀末に大西洋横断航路を開拓したコロンブスは、西欧による大航海時代を語る際に欠かせぬ人物だ。彼は航海に際して必ずマルコ・ポーロの『東方見聞録』を携えていた。マドリッドのスペイン国立考古学博物館に保管されているそれには、366か所を数える書き込みがあり、コロンブスが熟読していたことをうかがわせる。なかでもコロンブスがもっとも繰り返し読んだと思われるのが次の一節である。
〈サパング(シパング)は東方の島で、大洋の中にある。大陸から1500マイル離れた大きな島で、住民の肌の色が白く礼儀正しい。また、偶像崇拝者である。島では金が見つかるので、彼らは限りなく金を所有している。しかし大陸からあまりに離れているので、この島に向かう商人はほとんどおらず、そのため法外の量の金で溢れている〉(月村辰雄・久保田勝一訳、岩波書店)
ここにある「サパング(シパング)」とは日本のこと。『東方見聞録』こそ、「黄金の国ジパング」伝説をヨーロッパにもたらした当事者なのだが、実は同書には「偽書なのではないか」との説がある。
ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが戦争捕虜としてジェノヴァの牢獄にあったとき、物語作者ルスティケッロと同房だった。マルコが退屈を紛らわすために語った知識や体験を、ルスティケッロが出獄後に1冊の旅行記として世に送り出した。それが『東方見聞録』というのだが、マルコの体験が真実かどうかについては、刊行当初から疑問視する声が多かった。
総合文芸雑誌『ユリイカ』2020年12月号において「偽書の世界」という特集が組まれたなか、モンゴル時代史を専門とする宮紀子氏(京都大学助教)が「帝国の遺文、異聞の帝国」と題して、興味深い論を展開している。
宮氏は偽書説の立場から執筆に利用された史料について考察を巡らし、『東方見聞録』は次の5種の情報源を基にしていると結論付けている。
【1】羅針盤やアストロラーベ(天体観測用の機器)を用いたムスリム(イスラームの信徒)の指南書。航海図
【2】フレグ・ウルス(イル・ハン国)で編纂されたペルシア語の地理書・歴史書・使節団の報告書
【3】ローマ教皇庁、フランク王国とフレグ・ウルス、大元大蒙古(大モンゴル帝国)間の外交記録
【4】商業活動のなかで仕入れた情報
【5】東方の布教に関わる修道士たちからの伝聞
同論考に「黄金の国ジパング」について直接の言及はないが、宮氏の考察が史実に近ければ、『東方見聞録』の執筆に利用された情報源そのものの精度は高いと言える。当時、少なくともアジア貿易に関与する人びとのあいだでは、日本を金の産出国とする認識が共有されていていたと見てよさそうである。
手掛かりになりそうなのが、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれ、10世紀から13世紀(平安時代中期から鎌倉時代中期)に盛んだった日宋貿易である。中国側・宋からは絹織物、陶磁器、香料、薬種、書籍、絵画、文房具などが輸出されていたのに対し、日本からは硫黄、水銀、木材、蒔絵、扇、日本刀と並んで、砂金が輸出されていた。