誰かのためにお金を使うと人は幸せを感じる
東京都初の公立中学校民間人校長を務めた教育改革実践家で『60歳からの教科書 お金・家族・死のルール』の著者である藤原和博さんも「誰かに話せるような体験」を「生き金」の絶対条件に置き「お金は、人に語れる経験、すなわち“物語”を生むための起爆剤のようなもの」と話す。
藤原さんは現在、ラオスでの学校建設に取り組んでいる。日本では、私立学校を1つつくるのには、少なくとも30億円はかかるが、ラオスなら300万円ほどで可能だ。
「いままでにラオスで13の学校をつくりました。現地に行くと、ボロボロの服を着ていても、目を輝かせて学んでいる子供たちを見ることができて“きっと150年前の日本の子供たちは、こんな感じだったのだろうな”と、当時を知らないのに、なぜか懐かしく感じました。ラオスの山岳地帯には役所や集会所もないので、私たちがつくった学校が地域の中心になっています。きっとそこではさまざまな出会いが生まれ、そこから新たに、いろいろな物語が生まれています。学校建設のための300万円は、私にとっては何よりの“生き金”です」(藤原さん)
藤原さんのように、誰かのためにお金を使うと、人は幸せを感じる。これは、さまざまな実験や研究で明らかになっていることだ。明治大学大学院元教授で行動経済学者の友野典男さんも言う。
「お金だけでなく、時間や労力など、何らかのコストを負いながら、他人のために行動することを『利他的行動』といい、これは幸福度を上げます」
南アフリカで行われた社会実験では「自分自身のために、少しお得なお菓子の入った袋を購入するグループ」と「同じお菓子の入った袋を、地元の病院にいる子供たちのために購入するグループ」では、病気の子供たちのためにお金を使ったグループの方が、はるかに幸福度が高かった。
実験に参加した人の2割は「直近1年間で、自分か家族の食べ物を買うお金がないことがあった」という経験をしていたにもかかわらずだ。この結果は、先進国でも発展途上国でも同じだったという。
人は、自分自身がお金持ちでも、貧乏でも、誰かのためにお金を使うと、幸せになることができるのだ。
「“自分の行動で救われた人がいる”という事実が、人を幸せにするのです。たとえ自分の欲しいモノを買ったとしても、それが見栄のためなら“死に金”。他人のためにお金が減ったとしても、それで相手が喜んでくれれば“生き金”になるのです」(友野さん)