トレンド

クーラーがない時代の避暑方法 江戸では日が暮れたら夕涼み、昼食後は昼寝

「両国川開き」では、花火が打ち上げられ、現在の隅田川は、涼み船で埋め尽くされた。歌川房種『東都両国の夕涼』(画像提供/国立国会図書館)

「両国川開き」では、花火が打ち上げられ、現在の隅田川は、涼み船で埋め尽くされた。歌川房種『東都両国の夕涼』(画像提供/国立国会図書館)

 では、家の軒先で涼めない庶民はどのように過ごしていたのか。

 1850~1867年に出版された『絵本江戸土産』という江戸の名所、名店、名物などを案内する書物には、両国橋の納涼風景が描かれている。

「旧暦の5月28日、いまでいう7月くらいに『両国川開き』があります。日暮れから川は涼み船(屋形船のようなもの)で埋め尽くされ、川沿いに“並び茶屋”という現代でいう特設カフェが連なります。人々はそこで麦湯や桜湯、葛湯、暑気払いの妙薬・ビワ葉湯などを飲みながら川風で涼を取っていたようです」

暑い日中は昼寝で健康管理

 江戸時代の夏は、夕方から涼むために外へ出ていたことはわかったが、仕事のある日中はどうしていたのか。

「昼食後は昼寝をしていたようです。前述の菊池の書にも『道路を行きかう人も日光にやられ、2時間くらい人が絶えて近所が静かになる』『職人たちは肘枕で寝たり、商人はすずり箱やそろばんに肘をかけて居眠りしたり。台所の女中も思い思いに居眠りをして、妻は奥で子供を寝かしつけながら居眠りをする』といった記述があります。これが当時の夏の健康を維持する過ごし方なんです。

 現在は厚生労働省も作業効率化のため、昼食後の短時間睡眠を推奨していますが、江戸時代にはすでにあった習慣なんです」

 軒先に風鈴を下げて、鈴の音を聞くことで感覚的に涼しさを感じたり、朝顔の鉢植えを並べて見た目の“涼”を作ったり、ということもしていたという。

 いまは風鈴も騒音扱いされて近隣トラブルの原因になるなど、当時の人々と同じことをしても、“涼しい”とは感じられないかもしれない。しかし、いまよりモノがない時代に、のんびりと、暑い夏を受け止めながら楽しんでいたことは確かだ。その心の持ちようには、いまも見習いたい部分がある。

取材・文/簗場久美子

※女性セブン2022年7月21日号

関連キーワード

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。