──防衛大学校での給料(学生手当)はどれくらいでしたか?
給料は額面で10万ちょっと、手取りは7万3000円でした。そこから寮費などが引かれ、手元に残るのは4万円程度です。バイトは禁止なので、給料はもらえるとはいえ、ぜいたくな生活はできませんでした。
──自衛隊ではどんな暮らしでしたか?
倉津:卒業後は広島県にある幹部候補生学校に進学し、引き続き寮生活をおこなうのですが、私は防衛大学校を卒業とほぼ同時に結婚していたため、週末は妻が待つ官舎で暮らしました。間取りは3Kで1万円でした。家賃が安いのはよいのですが、3Kの間取りながら広さは40平米。古い間取りなので冷蔵庫を置くスペースもギリギリです。壁は砂壁になっていて、触るとポロポロと粉が落ちてきました。網戸もついていなかったのが印象的でした。
──自衛隊に入ってからの給与はいかがでしたか?
倉津:任官1年目、私の月収は当初は18万円で手取りは14万円ほど。しかし、海上自衛隊に入隊し、護衛艦の乗組員になると乗組手当が33%つくため、一般の自衛官よりも収入は次第に増えました。初年度でも450万円、一番多かった年では、額面が740万円でした。
そして、一年のうち半分くらいは海の上にいるので、お金はあまり使わず、資産形成にはとてもプラスとなりました。
──どれくらい貯金したのでしょうか?
倉津:僕は自衛隊で節約する生活になじんでいましたが、妻は僕以上の倹約家で、徹底的に節約しました。家賃も含めて、月々の支出は「10万円以内」に抑えていました。毎月の手取りのうち15万円以上はお金を貯めていたことになります。
内訳としては、食費は3万円以内に抑え、電気代は3000円で光熱費は合計で1万円以内。夏はクーラーもつけずに、接触冷感の寝具で体を冷やし、冬は電源をつけないこたつに入る生活をしていました。また、古い物件ですきま風も吹いてきたので、窓のすきまを埋めるために“100均”でシートを買ってきて貼ったりしたことも。
こうして貯めたお金が、投資の元手になっていまの悠々自適な生活があります。
倉津氏が余剰資金をどうやって増やしていったのか。次に具体的におこなった投資の内容と、退職後の生活を聞く。
(後編につづく)
【プロフィール】
倉津貞志(くらつ・ただし)/1990年生まれ。元海上自衛隊一等海尉。投資コンサルタント。家庭の事情により「学費がかからない」という理由で防衛大学校へ進学。自衛隊入隊2年目、24歳で不動産投資を始め、1年半で6戸の区分マンションを所有、28歳で「1棟買い」を実現させた。不動産を軸に投資信託、米国株などへの投資も取り入れながら順調に資産を増やし、投資開始から6年目、総資産4億円を超えた2020年12月に自衛官を退官し“FIRE達成”。