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アンナミラーズ誕生秘話 「アメリカでの武者修行」を浅田剛夫・井村屋会長が語る

創業経営者のスタンレー・ミラー氏(右側)と浅田剛夫氏。現在も2人の交友は続いている(写真提供/井村屋)

創業経営者のスタンレー・ミラー氏(右側)と浅田剛夫氏。現在も2人の交友は続いている(写真提供/井村屋)

──名物のアメリカンパイの味は半世紀前、浅田会長たち研修者3人が修行してが米国から持ち帰ったものなんですね。ところで、そもそも、どのようなきっかけでアンナミラーズの日本展開に至ったのでしょうか?

浅田:アンナミラーズは井村屋の新規事業として、(当時の)井村二郎社長の発案で始まりました。井村社長は進取の気質に富み、新しいことに挑戦する人でした。「和菓子、ようかんの井村屋」から、新しい事業に脱却していくことが必要ではないかと考えていたようです。

 1970年代のはじめ頃、冷凍ドーナツを手がけていた米国のドーナツ会社から提携の話が井村屋にありました。その話は断ることが決まったのですが、井村社長は律儀な方で、自らその会社を訪れてしっかり話をした上で直接お断りをしようと、米国に渡りました。

 その米国滞在中、同行していた経営コンサルタントの方から「ところで、面白いレストランビジネスをやっているところがカリフォルニア州のサクラメントにあります。見に行きませんか?」と誘われ、訪れたのがアンナミラーズだったのです。そこで経営者のスタンレー・ミラー氏との出会いがあったのです。ミラー氏の祖母のアンナ・ミラーが店名の由来です。

──偶然の出会いからスタートしたんですね。ただ、米国には他にも様々なスタイルのレストランやカフェなどがあったと思います。アンナミラーズと提携し、日本で展開しようと思った決め手は何だったのでしょうか。

浅田:いくつかの理由はありますが、デザートパイが売り物という特色のあるスタイルが大きかったと思います。デザートパイを中心にしたレストランビジネスは、まだ当時の日本にはありませんでした。井村社長は従来から「特色経営」を大事な哲学にしており、これだ! というインスピレーションを感じたのでしょう。

 さらにパイの生産については、井村屋にもノウハウがあり、まったく知らない分野ではなかった。井村屋は過去に東京で一時、パイの会社を持っていたことがあり、親和性を感じたのだと思います。

 2人が初めて会った当時、ミラー氏は36歳、井村社長は58歳と親子ほど歳が離れていましたが、お互いに相手の笑顔と人間的な魅力に惹かれたと後に話していました。

(後編につづく)

取材・文/上田千春

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