思い出の詰まった山口は昭恵さんにとって第二の故郷ともいえる。そこでひっそりと明かされた彼女の「所信表明」には驚きの顔を見せる関係者は少なくない。
7月8日に安倍氏が凶弾に倒れてから、昭恵さんの進路は国民の関心事となった。
「私自身が将来のことは不安です」──7月12日に営まれた告別式で昭恵さんはそう語り、この先の生き方が見えず、震える心持ちを明かした。
一時は安倍氏の後を継ぎ、衆議院の補欠選挙に出馬するのでは、との憶測も流れた。だがそれは、7月21日の自民党安倍派の会合で本人が否定したとされる。
「もともと天真爛漫なキャラクターで知られる昭恵さんですが、2度目の首相夫人となってからは森友問題などのスキャンダルもあり、一挙手一投足を批判され続けました。安倍氏の死後、彼女を応援する人たちからは、『もうこれからは、自分のやりたいように自由に生きてほしい』『元ファーストレディーという肩書を捨てて、昭恵さんらしく好きなことをすればいい』とのエールが寄せられました。多くの人が“夫を亡くした昭恵さんは、これからは自由にするのだろう”という気持ちで見つめているようです」(全国紙社会部記者)
図らずも夫との死別によって、「安倍家の人間」として生きなくてもいい──そんな選択肢が突如現れた。
ここから昭恵さんの葛藤の日々が始まった。
「晋ちゃん」という最大の後ろ盾を失った
振り返れば1987年の結婚以来、昭恵さんは常に「安倍家」の影に追われていた。
「安倍さんは祖父が岸信介元首相、大叔父が佐藤栄作元首相という華麗なる政治家一族です。1993年に安倍さんが父・晋太郎氏の地盤を継いで衆院議員に初当選して以来、昭恵さんは名門政治家一家のホープの妻として、慣れないながらに選挙活動の支援や地元後援者との交流に励んできました。彼女は持ち前の明るいキャラクターで、地元人気も抜群でした」(安倍家の知人)
森永製菓の社長令嬢として生まれながら、運命のいたずらでファーストレディーとなった昭恵さんは、自宅でも心が休まることはなかった。