これは一般的にも見られるケースだ。
都内の会社員A子さん(55才)の夫は2年前に急病で他界した。結婚して以来ずっと夫の実家で義母と同居し、子供はいなかった。
夫の実家はいわゆる名家と呼ばれる家柄で、義父が亡くなった後、不動産とその他の財産は義母が相続していた。
「名義は順番に受け継ぐからすぐ夫に回るはずと軽く考えていたら、夫が病気であっけなく亡くなり、折り合いのよくない義母と私が残されました。すると義母から『この家から出ていくか、家に住み続けて私を介護するか、どっちかを選んでくれ』と迫られた。ひとり暮らしを始める余裕もなく、仕方なく義母との同居を選びました」(A子さん)
「安倍昭恵として生きる」という選択
安倍家の場合は、義母・洋子さんによる「追放」が噂された。
「安倍さんの死後もスピリチュアル信仰が止まらない昭恵さんには洋子さんも匙を投げており、『昭恵さんにはもう何も任せられない。あの人をこの家には置いておけませんね』と周囲にこぼしています。洋子さんの目下の至上命題は、安倍家の跡取りを確立することです。その邪魔をするならたとえ息子の嫁である昭恵さんといえども家から出てもらおうという構えでした」(前出・安倍家の知人)
そんななか、昭恵さんが苦悩の末にたどり着いたのが、安倍家を出るのでも追い出されるのでもなく、「安倍昭恵として生きる」という第三の道だった。
「そもそも昭恵さんは、夫の死後に自分らしく自由に生きることが安倍家に迷惑をかけるかもしれないと考え、“もう私のことは気にしないで”“私の行動で誰にも迷惑をかけたくない”との意思表明をするつもりで死後離婚(姻族関係終了届)に思いを寄せました。
しかし山口の地を回るうちに安倍さんとの懐かしい思い出が次々によみがえってきて、“やはり自分は安倍家を捨てず、安倍昭恵として生きていこう”と思うようになった。そう心を決めたからこそ、夫を応援してくれた自民党関係者たちの前で、『ゆくゆくはここに戻ってきたい』という本心を打ち明けたのでしょう」(前出・昭恵さんの知人)
※女性セブン2022年9月1日号