安倍昭恵の人生をまっとうする
死後離婚とは要するに、「配偶者の親族と縁を切る手続き」のことだ。
とはいえ、そこには思わぬ落とし穴もある。神奈川県の主婦B美さん(65才)は結婚以来40年近く夫の実家で暮らしていたが、わずか2年のうちに義父と夫が相次いで他界した。
新婚時代から義母にいじめられていたB美さんは知人に死後離婚を教えられ、迷った末に手続きに踏み切った。
「一緒に住んでいる限り、義母がボケたら私が介護しないといけない。それは耐えられず、私の一存で死後離婚しました。
ただ大きな問題は、親しかった親族とも絶縁状態になったことです。仲のよかった義姉夫婦とのやり取りがなくなり、一族は夫の法要のときですら私を呼ばなくなりました。夫と築いてきた長年の夫婦関係が否定されたようで、いまは死後離婚したことを後悔しています」(B美さん)
さまざまな選択肢があるなか、昭恵さんが苦悩の末にたどり着いたのが、「安倍昭恵として生きる」という道だった。
「そもそも昭恵さんは、夫の死後に自分らしく自由に生きることが安倍家に迷惑をかけるかもしれないと考え、“もう私のことは気にしないで”“私の行動で誰にも迷惑をかけたくない”との意思表明をするつもりで死後離婚に思いを寄せました。
しかし山口の地を回るうちに安倍さんとの懐かしい思い出が次々によみがえってきて、“やはり自分は安倍家を捨てず、安倍昭恵として生きていこう”と思うようになった。
洋子さんとの恩讐を越えて、高齢の義母を施設に預けることなく、最期までお世話をして、ゆくゆくは山口に戻ってくる。それが安倍昭恵の人生をまっとうすることであり、亡き夫への弔いになると思った。そう心を決めたからこそ、夫を応援してくれた自民党関係者たちの前で、『ゆくゆくはここに戻ってきたい』という本心を打ち明けたのでしょう。
下関には昭恵さんが立ち上げにかかわったゲストハウス『ウズハウス』もあります。いつの日かそこで、昔と同じ弾けるような笑顔で宿泊客を接客する、昭恵さんの姿が見られるかもしれないですね」(前出・昭恵さんの知人)
8月13日、3年ぶりに関門海峡花火大会が開催され、1万5000発の色とりどりの花火が夜空を彩った。大会の前には真っ赤な花火が下関側から上がった。それは安倍氏への追悼花火だった。
※女性セブン2022年9月1日号