過去には「半植民地化」した国も
スペインはフェリペ2世(在位1556〜1598年)の代に最盛期を迎えたとされるが、同王は即位翌年を最初として、40数年間の在位中に何と計4回も破産宣告(国庫支払い停止宣言)を行った。先代の父王から世界中の所領とともに莫大な借金を受け継いだフェリペだが、その支払いは年間収入の3分の2にも達していたという。だが、こうたびたび破産宣告をしていては、国際金融業者から見放されるもの無理はない。以降、スペイン王室とスペイン国家は緩やかな死とでも呼ぶべき衰退の道を避けられなくなった。
一方のオスマン帝国は、ロシアとのクリミア戦争の戦費調達のためにロンドン・パリの銀行団と交わした300万ポンドの借款契約(1854年)を皮切りに、計16回の外債発行を重ねた。挙句、1875年10月にはそれらの債務の履行延期を宣言。事実上の破産宣告となった。これより前から紙幣の発行権を外国企業に譲渡していた(同国の中央銀行であるオスマン帝国銀行=1856年設立は英仏資本だった)が、破産後は徴税権の大半もオスマン債務管理委員会という国際機関に握られることとなり、列強の「半植民地」となった。
このように近代までの国家破産は覇権国家の没落や歴史ある国家の植民地化、半植民地化に直結した。一方、主権国家という概念が普及し、中立的な国際金融機関も生まれた第2次世界大戦後は大幅に状況が変わっている。
比較的最近の事例としてロシアとギリシャを見てみよう。
つい先日も、ウクライナ侵攻に対する経済制裁の影響からか、ロシア国債のデフォルト騒動が報じられたが、1998年には「ロシア危機」と呼ばれる債務不履行が発生した。ソ連の後継国家であるロシアはエリツィン政権下で急進的な改革を推し進めたが、市場経済がまったく正常に機能しなかったことから、国民の生活水準が発展途上国並みに落ち込んでいた。そこへ、アジア通貨危機(1997年)が飛び火したとも言われる。
木村汎・袴田茂樹・山内聡彦著『現代ロシアを見る眼 「プーチンの十年」の衝撃』(NHK出版)はロシアが失敗した要因として、「近代的な市場経済が機能するための基本的なエトスつまり文化や心理がロシアには存在しなかった」こと、および「ギャンブル的なマネー・ゲームを資本主義経済だと錯覚した」ことなどを挙げている。
通貨ルーブルの切り下げなどを経て、国際通貨基金(IMF)や世界銀行からの支援に加え、翌年からは石油価格が高騰したことなどにより、ロシア経済はようやく回復軌道に乗った。
2009年に発覚したギリシャの経済危機は、支援の見返りとして緊縮財政を要求するEU(ヨーロッパ連合)との折り合いがつかず、一時は債務不履行とEU離脱の可能性も高まった。最終的にはギリシア側が折れて、EUが提示した金融支援プログラムのもと、ヨーロッパ全体を巻き込むかと危惧された経済危機は回避された。