そして収入が増えなければ、消費も増やせない。モノやサービスにお金が回らなければ、企業の収益も上がらない。企業が儲からないから、社員の給料も上げられない――。そうした「負のスパイラル」が繰り返されれば、日本がどんどん「貧しい国」になってしまうのも当然ではないか。
かつて高度経済成長期にはほとんどの国民の収入が右肩上がりで増えて、買いたいモノが自由に買えるような「一億総中流社会」が到来した。やがて欲しいモノが行き渡り、むしろ溢れるようになると、「お金はあるけど、欲しいモノがない」という成熟社会にシフトした。
それがいまや、日本では世界的な物価高に円安で上乗せされた価格でモノを買わざるを得ない状況となり、「欲しいモノはたくさんあるけど、お金がない」という、それまでとは180度違った世界が訪れようとしている。それは何も貧困層に限った話ではなく、大多数を占めていたはずの中間層、さらにはその上の富裕層までもが味わうことになるかもしれない。
岸田政権は「資産所得倍増プラン」を掲げるが、あくまで資産所得の倍増を目指すのであって、そもそも資産を持たない者の所得が倍増するわけではない。このままでは、ごく普通に見える人たちの家計の負担ばかりが増し、やがて家計が破綻して生活困窮者に陥ってしまう可能性が高まってしまうのではないだろうか。
ただでさえ富裕層と貧困層の「二極化」が広がってきたといわれるが、この先はごく一握りの超富裕層を除けば、大多数の国民が貧困層に転落する「一億総下流社会」が現実味を帯びようとしている。
※須田慎一郎『一億総下流社会』(MdN新書)をもとに再構成