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名伯楽・エリザベス女王所有の競走馬が続々売却へ なぜ英王室は競馬に深く関わってきたのか

競馬との関わりは「ピューリタンへの牽制」から

 エリザベス1世の死とテューダー朝の断絶に伴い、スコットランドから迎えられたジェームズ1世(在位1603〜1625年)も宮殿内にボウリング場、テニス・コートと並び、闘鶏場を設けたほか、熊掛け専用の見世物小屋のパトロンをも務めていた。チャールズ2世(在位1660〜1685年)もその趣味を受け継いでいたというが、前掲書によれば、ジェームズやチャールズが闘鶏に入れ込んだ背後には、ピューリタンへの牽制があるという。

 ピューリタンはプロテスタントのなかでも極左に属する人びと。農村の伝統的な娯楽をすべて不道徳と決めつけ、国内からの一掃を目論んでいたが、イギリス全体ではそれを迷惑に感じる者のほうが多かった。

 そのため名誉革命後の王室では中道を選び、同じギャンブルでも流血がなく、動物が死傷することもないものを推奨するようになった。それが競馬で、現在のような競馬は17世紀に始まり、18世紀末には制度上の基礎がほぼ確立していた。

 19世紀までのイギリスでは、社交の季節と言えば12月頃から翌年8月まで。貴族たちは領地に構えるカントリー・ハウスからロンドンのタウン・ハウスへ移動し、上流階級同士の交流を深めた。

 貴族院の開会時期である2月にロンドンへの集結を始め、5月開催の王立芸術院の内覧会をもって本格シーズンの始まりとし、ライチョウ狩りの解禁日である8月12日が終わりの目安。ご婦人方がロンドンに集結し、連日のお茶会や舞踏会を楽しむのが5月から8月だった。

 比較的雨の少ない過ごしやすい日々が続くことから、テニスのウィンブルドンやゴルフの全英オープンもこの時期に集中開催され、社交の季節に花を添えた。ロイヤルアスコット開催も季節の風物詩と化しているだけに、今後も継続されるはずである。

 馬主は儲かるようでいて、競争馬の飼育や管理には莫大な費用がかかる。エリザベス2世でさえも賞金額だけでは経費が足らず、自分のポケットマネーで補填していたという。それでもやめられないほど、女王は馬と競馬を愛していた。

【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近刊に『鎌倉殿と呪術 怨霊と怪異の幕府成立史』、『ロシアの歴史 この大国は何を望んでいるのか?』などがある。

 

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