教授陣に問われる「学生から学ぶ」姿勢
国立大学に勤務した後に退職し、現在は非常勤で複数の私立大学で教鞭を取っている教授・Bさん(70代男性)はこう語る。
「自分のところの学生を『馬鹿だ』『高校生以下だ』と文句をいう教授って一定数いますよね。そういう“上からものを教えてやる”という態度の人は『大学教授』という肩書きにおごりがある。学生を貶すことでしか『自分は有能だ』って感じられないんじゃないかな。若い人たちと真摯に対話を続けていけば、そこに研究のヒントを見出すこともできるでしょうし、学びもあるでしょう。
基本的な日本語能力が低いとか、受験勉強が苦手だったとか、学習意欲が著しく低いとか、色々な学生がいることは事実。でも人を見て法を説くことができなければ、大学教員は務まりません。なんでもできる優秀な学生ばかりなら、われわれは講義する必要がない。僕は国立トップから低偏差値帯の大学まで、いろんな大学で講義をしてきたけど、どの大学にも優秀な子やセンスが良い子はいます。
学生たちを『頭が悪い』と批判することしかできないのは、教員としての自分の力量のなさを触れ回っているようなもの。勤務校の学生を拒絶する教員を前に、学生が学びたいと思えないのは当然のことです」(Bさん)
研究能力と教育能力が必ずしも相関するわけではないが、Bさんは「学生をリスペクトできる教員は研究能力も高い印象がある。逆に言えば、学生を過剰に貶す教員は、研究能力にも疑問符がつく」と言う。
大学教員は、研究者であると同時に、教育者でもある。自身の勤務する大学の学生を「バカ」「頭が悪い」と切り捨てていては、教育機関としての存在意義が問われる。また、そうした態度が顕在化すると、アカデミックハラスメントにもつながりかねない。学生のレベルばかりが問題視されがちなFラン大学だが、教員サイドにも少なからぬ問題があるのかもしれない。(了)