お金の本質は借金である
お金の本質は借金である。お金がお金として機能するためには「お金を借りる/貸す」という行為がともなわなければならないし、それを誰かに譲ったり(売ったり)することができて始めてお金のシステムが回る。そしてそのシステムを根底で支えているのが、信用である。「お金の本質は借金だ(貨幣とは負債である)」と主張する論は「信用貨幣論」と呼ばれる。
貴金属、つまりモノの上にお金のシステムが築かれ、それが複雑になって経済システムが出来上がっていったわけではなく、〈貸した/借りた〉の人間関係(社会関係)の上に乗っかった、貸しと借りの変化を記録する技術ができあがり、お金のシステムになっていったという考え方だ。逆に言えばお金のシステムの根底にはモノはなく、あるのは、貸しと借りの関係性の記録、情報だということだ。この考えが発展したのが電子マネーだということもできるだろう。
では、なぜこのことから目を逸らしておきたいのか、また誰がそのように思っているのか? お金の根底には、貸し借りという人間関係と、貸すことによって相手をコントロールするという種(たね)がすでに宿っているのである。これはかなり禍々しいことではないだろうか。そして、このことを人々が考えることを警戒しているのは、もちろん借金をベースにしたお金のシステムによってコントロールしようとする側だということになる(前掲記事「資本主義の根幹である『借金』が生み出す支配/被支配の構図 それは人類に突きつけられた『呪い』なのか」参照)。
ところで、貸し借りの関係を支えている信用とはなにか? 僕が思うに、信用はほとんど信仰と同じだ。〈信用≒信仰〉である。このことを最後に述べよう。
古代社会には人々は神の怒りを鎮めるために生け贄を捧げた。人間は罪深いので、神の怒りを買うようなことをついしてしまう。人間は神に負い目がある。それを帳消しにしてもらおうと生け贄を捧げる。さて、ここで、生け贄をある種のお金、怒りを帳消しにしてもらうための“罰金”だと考えると、貸しと借りの関係が浮かび上がる。つまり、神と人間との間には〈貸し借り〉の関係があり、捧げられた羊(犠牲獣)は借りを帳消しにしてもらうためのお金だ。
〈信用≒信仰〉という考えを採り入れつつ、僕は『マネーの魔術師 ハッカー黒木の告白』を書いた。また、生け贄と共同体の関係について(儀式のあとで捧げられた羊などの肉はみんなで食べた)は、『相棒はJK』でも展開している。興味のある人はぜひお読みください。
【プロフィール】
榎本憲男(えのもと・のりお)/1959年和歌山県生まれ。映画会社に勤務後、2010年退社。2011年『見えないほどの遠くの空を』で小説家デビュー。2018年異色の警察小説『巡査長 真行寺弘道』を刊行し、以降シリーズ化。『DASPA 吉良大介』シリーズも注目を集めている。近刊に真行寺シリーズのスピンオフ作品『マネーの魔術師 ハッカー黒木の告白』、『相棒はJK』シリーズの『テロリストにも愛を』など。最新刊に『アクション 捜査一課 刈谷杏奈の事件簿』がある。2015年に発表され話題となった、3.11後の福島の帰宅困難地域に新しい経済圏を作る小説『エアー2.0』の続編『エアー3.0』を現在構想中。