通夜と葬儀は「死を受け入れるステップ」
赤城氏は、葬儀の合理化について、「信仰心の薄れやコミュニティの崩壊が背景にある」としたうえで、「お葬式をもはや“贅沢品”とする傾向も強まっている」と指摘する。
「葬儀が画一的なものから多様化へと移り変わり、故人や遺族の選択肢が広がっているともいえますが、個人的には、通夜には大切な意義があると思っています。通夜の際の会食は、遺族が亡くなったことを段階的に受け入れる役割を担います。思い出を語り合い、悲しみや感謝を共有する時間は、案外とても重要なんです。
葬儀をミニマム化しても、人の死をきちんと受け入れられるなら問題ありません。ただ、気持ちにケリをつける、区切りをつけることが苦手な人も多いのが実情です。考え方は人それぞれですし、時代とともに変わる部分もあっていいと思いますが、通夜と葬儀は、死を受け入れるステップでもある。一定の儀式をすることにより心が落ち着くこともある、という“知恵”でもあるのかなと思います」(赤城氏)
葬儀のかたちが多様化しているからこそ、大切な人にとっても遺族にとっても、最適な選択を話し合っておきたい。(了