外国製兵器の購入は防衛(=公共事業)にならない
さて、ここで防衛力強化のための増税に話を戻そう。岸田政権は、「新自由主義からの脱却」を宣言し、また成長を目されている産業への投資に積極的な姿勢を示すなど(内閣官房の資料「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」を読む限り)、MMTを意識しているのではないか、と思っていた。というか、ここまでのことはMMTのバックアップなしには言えないだろうと思っていたわけである。しかし、防衛費について岸田首相は、「借金で賄うことが本当によいのか、自問自答を重ね、やはり、安定的な財源で確保すべきであると考えた」と語って、増税に理解を求めたので、僕は「えっ!?」となった。明確な理由を示さないまま、借金(国債)で防衛費を賄うことが悪いと言い、借金は安定的な財源ではないと決めつける、これはまったくMMTの主張と反する。
では、MMTの観点から、防衛費のための増税について、考えるとどうなるだろうか。防衛というのは公共事業だと考えることができる。実際、アメリカでは防衛産業は巨大な公共事業のひとつだ。ならば、政府が国債を発行し、その金で防衛のための戦闘機やミサイルをはじめとする諸々の武器を作って防衛省に納めるというのは、道路を作って国に納めるのと、お金の流れで見ればまったく同じだ。国内に有効需要が生まれ、お金が市場に回り出し、景気回復に役立つ、ということになる。MMTではこうなる。
岸田首相は増額した防衛費をなにに使うのかというと「端的に申し上げれば、戦闘機やミサイルを購入するということ」だと言う。では、どこから買うのかというと、まちがいなくアメリカだ。しかし、このお金の流れはかなり問題である。例えて言うならば、お湯が足りないからとコックをひねってお湯を足している(増税)のに、バスタブに穴が開いてそこからお湯が(アメリカへ)漏れているようなものだ。これではMMT支持者が目論むような公共事業にはなっていない。
ではどうすればいいかと言うと、MMTでは、武器は外国から買わずに自国で作ってそれを使えばよい、ということになる(武器を作れるかどうかという技術的な問題はいったん横に置く)。必要なだけ国債を発行して、政府は借金をし、政府は防衛のための戦闘機やミサイルを作れと国内企業に発注して金を払う、企業は戦闘機やミサイルを防衛省に納品する。そうすれば、日本国内でお金が回る、という理屈になる。
岸田首相は2022年12月13日の自民党役員会で、「責任ある財源を考えるべきであり、今を生きる国民が自らの責任としてしっかりその重みを背負って対応すべきものである」と発言した。後日「国民が自らの責任として」ではなく「我々が自らの責任として」だったと訂正したが、“我々”の中に国民が入っていないわけがない。せめて、どうしても税を取りたいのであれば、日本を守るための武器は日本人が自らの責任として作ったものを使ったほうがいい、ということにならないだろうか。