ひとつの出会いが、その後の人生を大きく好転させることがある。「もしあの人と出会わなかったら、私は今のような生活をしていなかったのではないか」と振り返ることもあるだろう。人と人との縁が、他の人とはまったく異なる、それぞれの人生を、彩っていく──。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏にとって、その大切な出会いのひとつが、某出版社社員のK氏だった。K氏の命日を前に、中川氏が思いを綴る。
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学生時代の友人や、就職先での先輩など、「あの人のお陰で人生は開けた」という人物を皆さんも頭に思い浮かべることができるのではないでしょうか。私は2020年11月1日から佐賀県唐津市に拠点を移しました。縁のなかった土地で2年以上楽しい時を過ごしていますが、その中でも大きかったのは、山崎幸治さんという、同年齢のミュージシャン・ミカン農家の方と出会ったことです。
同氏とは飲み仲間でもあると同時に、様々なイベントを一緒にやる仲間でもあります。そうしてお付き合いを続けさせていただくうちに、唐津市内の仲間が増え、さらには全国から唐津へやってくる仲間とも出会うことができました。すべて山崎さんという1人の人物が起点になっているわけですね。
こうした“人生のキーマン”とも言える人は、もちろん1人に限りません。今、私が思い返す重要な出会いは、某出版社社員のK氏です。数年前に心筋梗塞で亡くなってしまいましたが、K氏という人物と出会えたことで、どれだけ私の人生が好転したか……。それについて今回は書いてみます。
K氏と初めてお会いしたのは2010年3月です。その頃、私は某IT企業のニュースサイト運営・編集に携わっていました。K氏とお会いする前に、その出版社でインターネットビジネスに関する講演のようなものをさせてもらったのですが、その際に出会った女性社員・N氏と名刺交換をし「当社のネット戦略について今度相談させてください」と言われました。翌週、N氏と会うも、私が喋るネット用語にチンプンカンプンの様子でした。
すると、「私の手には負えないようなので、私の上にいるKという者を紹介します」と言われ、3人で会食をすることになりました。その場で私は出版社が手掛けるべきネットビジネスに関する構想を述べ、K氏は「なるほど」と言ってくれます。その後も会食を重ね、K氏はそれらを咀嚼したうえで、「社内文脈」に翻訳したうえで、プロジェクトとして進める準備をしてくれました。