京都・桂川のほとりのプレハブ小屋で日本電産が産声を上げてから今年でちょうど50年。現会長の永守重信氏(78)ら4人でスタートした会社は、いまや売上高2兆円に迫る世界最大手のモーターメーカーとなった。その日本電産で社員の「大量退職」が起きている。彼らはなぜ辞めたのか──会社を去った者たちの肉声をジャーナリストの大清水友明氏がレポートする。【前後編の後編。前編から読む】
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競合他社のシェア拡大
日本電産で課長職にいたB氏も昨年退社した一人だった。前職場が他社との経営統合を機にリストラを進めたため転職先を探すうちに日本電産を紹介された。
「採用後に本社で研修を受けましたが、永守イズムとは何かといった精神論が中心でした。研修中に永守会長が考案したPB商品を配られたのですが、ゴミは社外で捨てるよう指示される。以前社内のゴミ箱に捨てられているのを見つけた永守会長が『ワシの商品を捨てるとは何ごとか!』と怒ったからだそう」(B氏)
社員になると、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」など永守氏の経営理念をまとめた小冊子「挑戦への道」が配布される。冊子にはシリアルナンバーが振られ、社外に持ち出すことはできない。待っているのはこの小冊子の輪読会だ。
「部署ごとに4~5人で『今日はどこそこのページを読もう』と決めて読んだ後に、感想を発表しあうのです。車載事業本部のように他社からの転職組が多い部署は渋々やりますが、小型モータ事業本部のように古株の社員が多い部署は『永守信者』も多く、熱心にやっていました」(同前)
賃金は転職前の半額となった。日本電産は村田製作所、オムロン、京セラといった京都の他の大手製造業と比較して給料が低い。だが永守氏が新しい著書を出版するたびに役職者以上は購入するよう強く指示され、買ったことを総務部に報告しなくてはならなかった。
困ったのが物品の購買にあたって「5回値切り交渉をする」という社内ルール。徹底的に経費を抑え込むことをよしとする永守氏の考えに基づいたもので、上司の決裁を得るには稟議書に値切り交渉の履歴を添付しなくてはならない。