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野犬がうろつく新横浜に「ラーメン博物館」を作った男 「断られ続けた出店交渉」「実家を担保に多額の借金」

土日など混雑時は各店数十分から120分待ちになることも(撮影/木村圭司)

土日など混雑時は各店数十分から120分待ちになることも(撮影/木村圭司)

 飲食とエンタメを融合させた“フード・アミューズメントパーク”の先駆けである「新横浜ラーメン博物館」が来年3月、開館30周年を迎える。これまでに延べ2800万人を集客し、一大観光スポットに成長した同博物館だが、その歴史には知られざる困難、エピソードの数々があった。

 新横浜駅から徒歩5分、オフィスビル街の一角に位置する「新横浜ラーメン博物館(以下=ラー博)」。エントランスを抜け地下階に下りると、まるで映画のセットのように作り込まれた昭和30年代初頭の街並みが広がる。

 館内には、全国から選ばれた人気ラーメン店7店舗(期間限定店を含む)を中心に、駄菓子店や喫茶・スナックなど昭和レトロ感あふれる店が展開。手打ち製麺やオリジナルのカップ麺作りができる体験型施設が併設されるほか、不定期で紙芝居や大道芸イベントが行なわれるなど、お目当ての一杯を啜る合間にも退屈させない工夫が凝らされている。

「ここ1~2年は、とくに20歳前後の若い女性のお客様が増えています。社内で理由を調べると、平成生まれの世代を中心に流行する『昭和レトロブーム』の影響があると分かりました。ラーメンを食べるだけでなく“インスタ映え”スポットとして楽しんでくださる方も多いようです」

 そう話すのは、ラー博の創業者にして現在も館長を務める、同社代表取締役の岩岡洋志さん(64)だ。

 新横浜で生まれ育った岩岡さんがラー博建設プロジェクトを立ち上げたのは、バブル景気末期の1990年。まだ30歳の時のことだった。

「大学卒業後は紙の専門商社で働いていましたが、26歳で父が経営する地元の不動産管理会社に転職。不動産業に携わるなかで、地元の街づくりに興味が沸いてきたんです。当時、新横浜は『新幹線が停まる駅』とは認知されていましたが、土日のオフィス街は閑散とし、どこか『冷たい街』といった印象でした。一方で、少し歩けば広大な田畑が広がり、野犬がうろつくようなエリアもあった(笑)。そこで、会社所有の未利用地にこれまでにない面白い施設を作り、魅力的な街にしようと考えたのです」

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