2004年から20年にわたってラジオに関わってきた冨山雄一氏
1925年に始まった日本のラジオ放送は、今年でちょうど100年。かつて生活必需品だったラジオは、1980〜1990年代には“若者カルチャー”の担い手でもあったが、2000年代、インターネットの登場でその立ち位置は“メジャー”ではなくなってゆく。ニッポン放送で1967年から続く長寿人気番組「オールナイトニッポン」さえも苦境に立たされたという。
そんな新しいメディアの台頭を、当時、ラジオ局側はどう受け止めていたのか。現在「オールナイトニッポン」のプロデューサーを務める冨山雄一氏の著書『今、ラジオ全盛期。』(クロスメディア・パブリッシング)より、一部抜粋して再構成。【全2回の第2回】
ラジオの最盛期を作ったハード面の環境変化
都内に電波が届きにくいという問題はニッポン放送固有の問題でしたが、同時に、業界全体で共通する大きな問題も深刻さを増していました。
それが、そもそも「ラジオを聴く」という生活文化の減少です。
1925年に日本でのラジオ放送が始まって以来、日本の各家庭には少なくとも1台はラジオの受信機がある、ラジオを聴いているという文化・習慣がありました。
僕の実家でも、朝には母親が家事をしながら TBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド」を聴いていましたし、父親がお風呂に入りながら防水ラジオでプロ野球中継「ニッポン放送ショウアップナイター」を聴いているというのが日常でした。僕自身も、中学1年生の時に、入浴中に父親の防水ラジオをチューニングして聴いてみたのが“初ラジオ体験”でした(ちなみに番組は文化放送の「ツインビーPARA DAISE2」)。
おそらく僕のような1990年代に思春期を過ごした人は、「ラジカセ」に親しんだ思い出があるのではないでしょうか。ラジカセ、CDコンポやカセットテープレコーダーといったあの頃の音楽再生機器には必ずラジオの機能が付いてきました。CDコンポにもMDコンポにもラジオの機能はついていたので、「ラジオを聴こうと思えばいつでも聴ける」という生活風景がありました。
居間や台所に「一家に一台」しかなかったラジオが、ラジカセやコンポの中の機能として搭載されたことで、ラジオは「中高生が自室で楽しむ」メディアへと進化していったのです。こうしたハード面の環境変化が、1980年代頃の「ラジオの最盛期」を作ったといえるでしょう。1990年代もそういった意味で、ラジオ文化はまだ若者たちの中にあったと言えます。
ところが、最盛期は永遠には続きませんでした。
2001年にアップルから販売開始され、瞬く間に日本の若者の心をわしづかみにした音楽プレイヤー「iPod」には、ラジオの機能はついていなかったのです。これによって若者とラジオの接点は、ほぼなくなってしまったと思います。
難聴取の問題などの要因も相まって、ラジオのメディアとして価値はみるみる低下し、家や車でラジオを聴く機会が激減していきました。ラジオの衰退は、2000年代に入って一気に加速したと思います(あくまで個人的な感覚です)。