粗挽きせいろは最初は塩で味わいたい
お酒はいつ飲んでもいいものだが、昼から飲むお酒にはまた格別の味わいがある――。ライター・作家の大竹聡氏が、昼飲みの魅力と醍醐味を綴る連載コラム「昼酒御免!」。今回は雪が舞う土曜日、西八王子の蕎麦屋にて穏やかに杯を重ねる大人酒を楽しんだ。【連載第9回】
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3月上旬の、ある土曜日の朝。9時過ぎまで眠って寝床を出ると、とても寒かった。午後から雪になる予報が出ていたのを思い出しつつ、また蒲団をかぶる。
普段の土曜なら、トイレをすませてから少しの間の二度寝を楽しみ、たっぷりお茶を飲んだら入浴し、風呂上りからしばし、競馬の予想など始めるところだ。
しかし、この日は、二度寝をせずに20分ほどもぞもぞした後で寝床を這い出した。熱いお茶をゆっくりと飲む。その間に目が覚めてきたので、さっさと着替えて10時過ぎには家を出た。
蕎麦を喰いに行くと、2日前から決めていた。目指すは西八王子駅。JR中央線の八王子と高尾の間の駅だ。ここから10分ほど歩いたところに、うまい蕎麦屋がある。
私の家からはまず私鉄の京王線に乗り、京王八王子駅まで行く。そこからは歩いてJRの八王子駅へ乗り換えていくのだが、京王線が日野市から八王子市へ入る頃には、窓の外に雪がちらついていた。
目的の蕎麦屋は「蕎麦 坐忘」という店だ。坐忘とは荘子の言葉で、座して現実世界を忘れる境地のことと、以前教わったことがある。雑念を廃してうまい蕎麦を味わい、忘我の境地に遊ぶ。思わずそんな連想をしてしまうのだが、これ、あながち間違いじゃない。蕎麦をたぐる前のひととき、この店の絶品酒肴に舌鼓を打つ時間は、私にとってはまさに坐忘のときだ。これが修業であるならば、いつまででも修業していたい。