中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

ネットニュース黎明期に集ったライターたちはこんな面々だった

ネットニュース黎明期のライターはこうして集められた(イメージ)

 今では新聞社・出版社を筆頭に、数多くの企業がニュースサイトを運営しているが、2000年代中頃、ネットニュースが勃興し始めた頃は、まだ海のものとも山のものともわからぬ状態だった。紙媒体が隆盛を極める中で、あえてネットニュースのライターとして働いていたのは、どんな人たちだったのか。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が振り返る。

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 2006年5月、突如として某ニュースサイトにフリーの編集者として参画することとなりました。当時は新聞社や通信社のサイトはありましたが、まだ多くの出版社が参入したりする以前で、J-CASTニュースが登場した直後にあたります。

 それまでは私は雑誌『テレビブロス』の編集者をやっていたのですが、正直この話をいただいて、「どうすりゃいいんだ、こりゃ……」と頭を抱えていました。何しろ、編集者だったくせに、私自身ライターの知り合いがほとんどおらず、誰に声をかけていいのやら分からなかったのです。それなのに毎日、最低8本の記事を配信しなければならない。

 ブロスの時は、A氏とB氏という2人のライターと組むことが多かったのですが、他に付き合いのあるライターは特集に応じて映画ライター、アニメライター、漫画ライターなど専門分野を持つ人に頼む程度でした。A氏とB氏は、ニュースサイトにも協力してくれることになったのですが、それ以上のコマがなかった。

 さらに、当時はまだ紙メディアが「王道」というか、ライターの主戦場だったため、「ネットでニュースを配信する」なんてことを言うと「はぁ? 私は今、雑誌の仕事が忙しいので、そんなネットごときに書く余裕なんてありません」なんて言われることもありました。

 とりあえず、運営会社の人に「知り合いのライターを紹介してほしい」と言ったところ、C氏を紹介してもらい、彼の参加が決定。あとは、私が以前にライターとして携わっていた『日経エンタテインメント!』の編集者に、誰かライターを紹介してもらうことになりました。そこで出会ったD氏は当時某週刊誌の編集部の契約記者だったのですが、彼女が同誌の契約記者をさらに5人紹介してくれました。

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