今回の東京五輪には、前回の東京五輪が開催された1964年のような高揚感や五輪を前に日本が変わっていく空気感が感じられないという声もある。たしかに、前回東京五輪時は、新幹線をはじめとした夢のような新技術が開発されたり、ピクトグラムのように世界中に広まるデザインなどが生まれた。
加えて1964、年は、国民の生活全般が大きく変わるきっかけともなった。1960年代以降、電気冷蔵庫やテレビなどの家電が普及しはじめ、大会期間中は五輪史上初となるカラーテレビ中継も実現した。当時の庶民には高根の花過ぎたカラーテレビも、オリンピック後、数年して一般家庭に普及するようになった。
テレビの中心はスポーツだった。五輪、野球、プロレスに加え、大相撲では1964年の6場所中4場所を制した横綱・大鵬。競馬では戦後初の牡馬クラシック三冠という偉業を達成したシンザン。いずれもテレビ中継拡大が国民的人気につながった。
現在、地上波各局が鎬を削る「ワイドショー」が始まったのもこの年だ。元NHKアナウンサーを司会に据え4月にスタートした『木島則夫モーニングショー』(NET、現テレビ朝日)では、生放送中のスタジオと五輪の開会式会場を電話でつなぎ、“生中継”に挑んだという。
雑誌文化も五輪に向けて花開いた。若者向け週刊誌『平凡パンチ』が創刊されたのも1964年4月だった。『1964』の著者でコラムニストの泉麻人氏が解説する。
「『平凡パンチ』はこの時代の流行風俗を語る上で欠かせません。やがて“若者ファッションの教科書”“サブカル情報誌の原点”となる同誌ですが、創刊号トップ記事は『鈴鹿グランプリレース』の内情を暴くルポで、当初は硬派なイメージでした」
東京五輪関連の記事も〈オリンピック“亡命”の不安〉(1964年10月12日号)や〈オリンピックでアガる日本選手は誰か?~勝敗を決定する“緊張と不安の心理”を解剖する~〉(同19日号)など、週刊誌らしい一歩踏み込んだ特集記事が組まれている。