芸能人・著名人の相続・終活
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昭和の大スター・森繁久彌さんが遺言書を残さなかった真意

森繁久彌さん(写真中央)が遺言書を残さなかった理由は?(左は芥川也寸志さん、右は黒柳徹子さん。1979年)

森繁久彌さん(写真中央)が遺言書を残さなかった理由は?(左は芥川也寸志さん、右は黒柳徹子さん。1979年)

 自分の死後、愛する家族がトラブルに巻き込まれないためには、最後の責任として「遺言書」を残すことがいちばんだと言われる。しかし、死を前にしながら“最後のメッセージ”を残すのは、簡単なことではない。日本を代表する有名人の中にも、遺言を残さなかった人は少なくない。

 2009年11月に老衰でこの世を去った森繁久彌さん(享年96)は、遺言書を残さなかった。次男の建さんは、昭和の芸能界を代表する大スターであった父をこう振り返る。

「父は『終わったことに執着するな』という考えの持ち主。遺品や相続の話は何もせず、これといった遺言もありませんでした」

 森繁さんが遺言書を残さなかった背景には、ある実体験がある。

「役者仲間と銀座で飲んでいたとき、その相手が浮かない顔をしているので父が理由を尋ねると、『身辺整理と葬式の段取りをして、遺言書を書いた。でも全部終わったら、あとは死ぬだけになってしまった』と答えたそうなんです。父はそれを聞いて、遺言書を書くのはやめようと心に誓ったそうです」(建さん・以下同)

「遺言断筆」を遂行した森繁さんだったが、数々の遺品は残っていた。モーターヨット、無人島、ゴルフ場、キャデラックのリムジン──そのスケールは規格外のゴージャスさだ。

「父の収入は確かに多かったですが、人に見られる仕事のため、身なりや行動には相当気を使っていました。“森繁久彌といえばリムジン”だからと、晩年に仕事が減っても一流のものを身につけ、キャデラックで移動し、ハイヤー会社が派遣する運転手の給料だけで年間700万円近くになりました。ファンが期待する森繁久彌でありたいとの気持ちが強かったんです」

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