【書評】『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』/デヴィッド・グレーバー・著 酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹・訳/岩波書店/3700円+税
【評者】大塚英志(まんが原作者)
大学を出てから組織に属さず気侭に生きてきて、普通の人なら定年が視野に入るいい年になってから官製の研究機関に形だけ籍を置き観察の機会を与えられたのは、この国の官僚組織が著者の言う巨大なブルシット・ジョブ(BSJ)機関だということだ。
前例や書式やただひたすら書類上の微細な整合性を追求し、しかし誰一人「全体」どころかもう少し短いパースペクティヴさえ持たず、そのために残業や徹夜を強いられ、それがうっかり時の権力者の放言の辻褄合わせともなれば人一人ぐらいの自死さえ要求される。
忖度や根回しや御説明やお伺いや、あるいはワーキングチームやらタスクフォース小池百合子が喜びそうなカタカナの会議が乱立し、またそのための書類をつくる。そして肝心なことは大抵民間に丸投げされる。それが国家なるものだとよくわかった。
しかも、コロナ禍がもたらしたリモート化はBSJに引導を渡すどころか、その更なる肥大化を促している。判子を廃止してドヤ顔する大臣がいたが、巨大なBSJ機関は少しも揺らいではいない。リモート会議に席次や序列を反映させるシステムを搭載し、忖度するAIなどという笑えない計画さえ聞く。BSJのIT化と言う壮大な冗談がこの先の未来だ。
だから本書は日本のBSJの従事者たちには何ら刺さらない。何も生み出さず、しかし社会的地位と収入はエッセンシャルワーカーに比し圧倒的に高いBSJの人々の自身の仕事への嘆きは、自慢でしかない。本書の他に出た書評も大抵BSJ従事者のマウントだった。
彼らは本書の説くのと違って自身の仕事を無意味だともやりがいがないとも、微塵も思っていない。BSJにある限りそんなものは仕事の外にいくらでも転がっているからだ。ただ一つ光明があるとすれば、BSJの搾取に対して、搾取される側の余力が殆ど残っていないことで、そのバランスの欠き方がコロナ以降、臨界値を超えつつある。だから、ある日突然、ソ連がなくなったようにこの国が消えても不思議ではない。
※週刊ポスト2021年2月12日号