世界経済フォーラムが実施した2019年の「ジェンダーギャップ指数(男女平等指数)2020」では、全調査対象国153か国のなかで、日本は121位。先進国では最低ランクだった。
ジェンダーギャップ指数における「経済」「政治」「教育」「健康」の4指標の中でも、日本が取り立てて低いのは「経済」と「政治」である。
アメリカのバイデン政権では、財務長官、内務長官などの主要ポストも女性が担い、全25人の閣僚のうち女性が12人と、ほぼ半数を占める。ドイツのアンゲラ・メルケル首相(66才)、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相(40才)、台湾の蔡英文総統(64才)など、コロナ対策で辣腕を振るうリーダーはいずれも女性だ。フィンランドでは、2019年12月に発足した新内閣で35才のサンナ・マリン氏が世界最年少の首相に就任し、閣僚19人のうち12人が女性となった。
しかし、菅内閣の女性閣僚はわずか2人で、副大臣は25人中3人。若手政治家の登竜門である政務官も女性は27人中3人しかいない。そして、閣僚や副大臣クラスだけでなく、女性議員そのものが極端に少ない。
現在でもこのような状況だが、これまで日本の女性はどのように政治に参加してきたのか──。
《元始、女性は実に太陽であった》。1911年に創刊された文芸誌『青鞜』で高らかに女性の解放を宣言したのは、女性運動のパイオニアである平塚らいてうだった。彼女らの社会運動により、1922年に女性の政談集会への参加および発起が可能となった。
敗戦後の1945年12月、民主化の第一歩として衆議院議員選挙法が改正され、女性の参政権が初めて認められた。
翌年4月、まだ敗戦の傷跡が生々しく残るなかで行われた衆議院議員選挙では、82人の女性が立候補した。投票日には1380万人の女性が投票用紙を握りしめ、39人の女性国会議員が誕生した。
ちなみに、当時の全議員数は466人であり、女性議員の割合は8.4%。現在は9.9%なので、75年経ってもわずかながらにしか増えていない。