武士は「領主」から「給与生活者」に
武士の経済事情は鎌倉時代以来のそれとは大きく変わり、もはや荘園領主ではなく、君主に依存する給与生活者と化した。給与は現物で、精白をしていない玄米の状態で支給された。
江戸時代の武士の給与は領内の田畑に由来したわけだが、新たな征服地が生じない江戸時代には、耕地面積の拡大は新田開発に依るしかない。この点に関しては、江戸時代概説の古典的名著とも呼ぶべき大石慎三郎著『江戸時代』(中公新書。1977年初版刊行)に以下のような、わかりやすい説明がある。
〈平安時代から室町時代の半ばころまでは、わが国の耕地面積はほとんど増加していない〉〈室町時代中期を100とした場合、江戸時代初頭は172.8、同中期には313.9というおどろくべき数字となってあらわれるのである。そしてこのとき以降明治初期までにみるべき増加がなかった〉
つまり耕地面積の増加は戦国時代に最初のピーク、江戸時代になって第二のピークを迎えるが、江戸時代中期には限界に達した。それにより、経済にどんな影響があったのか。
実質上の石高が増えることはもうないから、武士の昇給は期待できない。片や、生活必需品の調達は物々交換とはいかず、武士たちは俸禄として支給された玄米を換金しなければならなかった。その方法は、米問屋へ直接持ち込むのでなく、札差(ふださし)という中間業者に換金してもらうのだが、札差は高利貸しを兼ねるのが普通で、困窮化した武士は札差にとって二重のお得意様になることが多かった。
物価は上昇を続けているのに、毎年の俸禄は据え置き同然。武士たちに借金以外でできる対策は、節約や野菜の自家栽培、共同購入、副職、内職などに限られた。武力により築かれた武家政権のもとで、支配層であるはずの武士がひもじい生活を強いられるなど、皮肉としか言うほかない。