【書評】『お金の流れで見る明治維新』/大村大次郎・著/PHP文庫
【評者】森永卓郎(経済アナリスト)
歴史ファンのなかでは、幕末ファンが、圧倒的多数を占めている。特に坂本龍馬や勝海舟など幕末ヒーローを熱く語る人は、日本中どこにでもいる。だからドラマでも幕末物は、確実にヒットが見込まれる定番商品だ。
ただ、私はこれまで幕末物は、ほとんど読まなかったし、ドラマも見てこなかった。私が天邪鬼だからかもしれないが、「理想の天下国家を論じ、その実現のために命をかけて戦う」というストーリーに、どうしても、わざとらしさを感じて仕方がなかったからだ。
ただ、本書を読んで、私の幕末アレルギーが一気に吹き飛んだ。偉そうなことを言っていても、幕末ヒーローたちは、お金の面では、清廉潔白とは程遠い存在だということが分かったからだ。
例えば、明治維新が、なぜ薩摩藩と長州藩中心に行われたのか。薩摩と長州にヒーローがいたからではない。薩長は、財政的に豊かだったからというのが著者の見立てだ。江戸時代は、幕府の直轄領が多く、各藩はもともと大きな石高を持っていなかった。しかも、商工業が発達するなかで、商工業者に十分な課税ができていなかったため、財政状況は年々厳しくなっていった。それに加えて、参勤交代や幕府に命じられた天下普請のため、幕末の各藩財政は、火の車だった。
そのなかで、薩長だけは財政余力があり、幕府と戦う軍備ができたという。なぜ薩長に財政余力があったのか。薩摩藩は、商人からの借金を踏み倒したうえに、黒糖専売を通じて実質的に属国だった奄美や琉球の黒糖を買い叩いて大儲けをし、密貿易にも手を出していたという。また、薩長はニセ金作りにも精をだしていた。
一方の幕府も、小判の金含有量を下げる改鋳を繰り返して、莫大な「通貨発行益」を手にしていた。つまり、明治維新の戦いは、お金の面からみると、インチキ対インチキの戦いだったのだ。何という人間臭く、納得感のあるストーリーだろう。私は、この本を読んだことで、完全な幕末ファンになってしまった。
※週刊ポスト2022年7月8・15日号