「武士は食わねど高楊枝」──この言い回しの起源は不明だが、武士としての矜持を重んじるような諺が広く定着した背後にも、もっともらしい理由をつけて、武士の忍耐を称揚するきな臭さが感じられる。
儒者で経世家の熊沢蕃山や、同じく儒家で兵学者でもあった山鹿素行など、太平の世における武士のあるべき姿について問題提起をする者が多く現われた。「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」の一節で知られる『葉隠』の著者、佐賀藩士の山本常朝(1659〜1719)もその一人。1702年に起きた赤穂浪士による吉良邸討ち入り(元禄赤穂事件)が義挙と称えられたのも、武士のありかたを巡る、当時の空気があればこそだった。
【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近刊に『featuring満州アヘンスクワッド 昔々アヘンでできたクレイジィな国がありました』(共著)、『イッキにわかる!国際情勢 もし世界が193人の学校だったら』などがある。