最近、ニュースでは何度も「日経平均のバブル後最高値更新」の見出しが躍っているが、はたして「バブル」とはどんな時代だったのか? 1980年代後半から始まった狂乱の景気の実像に迫る。
週末の夜ともなれば街に人が溢れ、ディスコのお立ち台ではボディコン姿のうら若き女性が扇子を片手に激しく踊る。それを取り巻くようにフロアにひしめく無数の男たち──バブル華やかなりし頃、東京をはじめとする盛り場でお馴染みだった光景だ。
深夜、決まって繰り広げられるのは、タクシーの争奪戦。都心では万札を掲げて手を振りながら、タクシーを止めようとするサラリーマンの姿も珍しくなかった。
誰もが、好景気に浮かれる時代だった。
当時は企業収益も給料も大幅上昇が続き、個人消費が活発で、GDPも4%の成長を記録。「明日は今日よりも豊かになる」との自信が列島に満ち、「山手線内の土地の値段で米国全土が買える」とまでいわれた“カネ持ち日本”の宴だった。
そんなバブル景気はなぜ始まったのか。マーケットアナリストの平野憲一氏(ケイ・アセット代表)が言う。
「バブルの直前、1985年のプラザ合意でドル安政策が決まると急激な円高が進行し、輸出の落ち込みから日本は不況に陥りました。そこで、政府・日銀は大規模金融緩和を始めますが、急な資金需要は起きず、市中に溢れた資金は株や土地に大量に流れた。そこで発生したのが資産バブルです」