結婚を機に家庭に入った専業主婦が、“社会を知らない”ことを謙虚にとらえ、それをバネにして50才を過ぎて大きく花を咲かせる──。そんな経験はきっと働く主婦たちの希望になるのではないか。文部科学大臣となった永岡桂子さん(69才)に、これまでの経歴をうかがった。
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「大丈夫。お母さんがいるから。心配しなくていいから」
これは夫である洋治(享年54)が急逝したとき、娘たちの不安そうな顔を見て、私の口からとっさに出た言葉です。2人の娘たちは当時24才と21才で、成人していましたが、ひとりはまだ大学生。学費がかかります。そして私は51才のこのときまで専業主婦。私自身がこの先どうするのか、何のあてもなくて不安だらけ。それなのに、よく言ったといまでも思いますね。自分に言い聞かせた面もあると思います。
それが2005年の8月初めのことでした。その直後、自由民主党茨城県支部連合会から9月の衆議院選挙に出馬しないかというお話をいただいたんです。「弔い合戦をしてくれ」と──。
だけど私、24才から51才までの27年間、ずっと専業主婦ですよ。自信? あるわけがありません。政治を志したこともない私が出馬していいのか悩みました。
でも、ある代議士の奥さまから、「あなたはご主人がどんな仕事をしていたのか知りたくない? それには選挙に出るしかないのよ」と言われたんです。娘たちからも、「やった方がいい」と背中を押され、一大決心をしていまに至るわけです。
憧れの専業主婦だったはずが
何度も言っていますが、私は政治の世界に入るまで、専業主婦でした。私が大学を卒業した昭和50年代初め、女性は専業主婦になるのが当たり前で、私自身、それを望んでいました。
というのも、実家が飼料の製造販売会社で、両親は共働き。友達の家に行くといつもお母さんがいて、手作りのクッキーなどを出してくれますが、わが家では母が働いていますから、それはあり得ない。ですから、家に母がいる生活に憧れがあったんです。