「連絡させていただきます」「メールをお送りさせていただきます」が誤用なのは、「連絡してよろしいでしょうか」「メールをお送りしてよろしいでしょうか」と相手の許可を求める以前に、一方的に連絡事項や用件を書いているからだ。
「受講票を確認させていただきます」に激怒した年配の男性は、入室にあたって受講票を提示するのは規則なのに、自分に許諾の権利があるような言い方は失礼(インポライト)だと訴えたかったのだろう。強制しているという事実を隠蔽し、あたかも自由意志で行なったように見せかけている、というわけだ。この場合は、たんに「受講票を拝見します」でよかった。
とはいえ、「連絡いたします」「メールをお送りします」という正しい使い方に、抵抗を覚えるひとも多いだろう。この表現では、相手への敬意が足りていないように感じるのだ。そうなる理由は、日本語には強い「敬意逓減の法則」が働いているからだ。
敬意がどんどんすり減っていく
「お前」は御前のことで、貴い相手を名前で呼ぶのが恐れ多いので、その代わりに場所を示している。「貴様」は罵倒語だが、漢字を見ればわかるように、もともとは尊敬語だった。それが時代とともに敬意が逓減し(徐々に減っていって)、とうとうマイナスになってしまったのだ。
なぜこんなことになるかというと、多用しているうちに言葉がコモディティ化(平凡化)し、敬意が感じられなくなるからだ。手当たり次第に「貴様」を使っていたら、地位が高いのは誰で、そうでないのは誰なのかわからなくなってしまう。こうして、敬意がどんどんすり減ってしまうのだ。
英語では「わたし」はI、「あなた」はYouしかないが、日本語ではその場の状況に合わせてさまざまな言い方がある。世界の言語分布のなかではこれは両極端で、英語はグローバル言語になる過程で誰でもわかるシンプルな用法が好まれるようになり(英語にもThouのような「あなた」を指す言葉があったが、古語として廃れた)、日本語はドメスティックな世界のなかで、お互いの微妙な距離を調整するために異形の進化を遂げた。(*参考:滝浦真人『ポライトネス入門』研究社)
興味深いのは、「おのれ」「われ」が相手を罵倒する言葉になっていることだ。自分自身を罵ることが相手を罵ることになるというのが、他の言語にもあるかはわからないが、かなり変わった言葉の使い方であることは間違いないだろう。これは、日本社会では自他の区別があいまいで、相手を自分の分身のように感じているからではないだろうか。