敬意逓減の法則の典型が、若者のあいだで急速に広まった「よろしかったでしょうか」だ。「いいですか」→「よろしいですか」→「よろしいでしょうか」の順で敬意を高めたものの、それもすり減ってしまったため、より相手と距離を置き、敬意を示すために過去形を加えたのだろう。目の前の相手の意図を過去形で質問するのは矛盾しているが、敬語の原理(相手と距離をとればとるほど敬意が高まる)からは正しい「進化」なのだ。
最近、気になるのは、若者が「かしこまりました」を多用するようになったことだ。ネットのビジネス敬語の解説で、目上の者に「了解しました」を使うのは誤用だとされているからのようだ。そうなると「承知しました」か「かしこまりました」になるが、これらはいずれも目下の者が目上の者に使う言葉だ。
このように日本語では、身分の上下がつねに問題になる。ビジネス敬語における「目上/目下」は会社の役職などをいっているのだろうが、そこには「部長は平社員よりも人間として尊い」という含意がある。これは明らかに、「すべてのひとは平等」というリベラリズムの原則に反している。
日本語でも「敬語の民主化」が進んでいるといわれる。役職にかかわらず「さん」づけで呼ぶのはその流れだが、その一方で「かしこまりました」のように、時代に逆行するような敬語が広まってもいる(私が若い頃は、「かしこまりました」は時代劇に出てくる言葉で、実際に使うなど考えられなかった)。カスタマーハラスメント(カスハラ)が社会問題になっているのも、過剰な敬語によって、客が自分のことを「人間として尊い」と勘違いするからではないだろうか。
(橘玲・著『世界はなぜ地獄になるのか』より一部抜粋して再構成)
【プロフィール】
橘玲(たちばな・あきら)/1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。リベラル化する社会をテーマとした評論に『上級国民/下級国民』『無理ゲー社会』がある。最新刊は『世界はなぜ地獄になるのか』(小学館新書)。