【3】散骨?樹木葬?…わが「終活」にロマンはいらん
「終活」は、かっこよく言えば「メメント・モリ」。ラテン語で「必ず死ぬことを忘れるな」という意味で、そのための準備をしておこうということ。
若い頃に思う「死」は現実味がない分、ロマンチックだったり逆に恐怖だったりしたけれど、いまの私にとって死は超現実。なにせ60才を過ぎてから6年間、弟、父親、相棒だったオス猫、在宅介護した母親、そして親友──と立て続けに他界して、「あぁ、人はこうして死ぬんだな。死んだらどこにもいなくなるんだな」と空ばかり見上げていた。
身近な人が亡くなると人は変わるというけれど、ホント。自分にも鬼籍に入る日が来ることが、するっと納得できる。その上で、いますること、しなくていいことが見えてきた。基本は、自分が亡き後、残った人に負担をかけないようにするにはどうすべきか、ということだと思う。
そこでまず、「部屋の片付け」。片付けが大の苦手なんて、もう言っていられない。最低限、必要なものだけ残して捨てまくるべし。捨てて後悔するものなんかない。てか、目の前から消えたら忘れるし。ちなみに、裁縫が趣味の私の家には、気がついたらミシンが7台集まっていた。読者のどなたか、取りに来てくれたら差し上げますよ。
ミシン同様、布地もある。台湾、上海、ロンドン、パリ、フィレンツェ。世界中から買い集めた。死ぬまで手放したくないものと、すぐに作品になるものだけ残して、メルカリに出品しようっと。
できるだけ身を軽くしてからの後始末は、先日、11才年下の弟にお願いした。だから、「生命保険証書のコピーを渡す」ことにする。「お墓を決める」のはこれから。実家のお墓が最もリアルで第一候補かな。お寺に永代供養代が払えたら、なお◎だけど。巷では海に散骨するとか、樹木葬とかいうけれど、私の死にロマンはいらん。てか、葬式は死者が口出しすることじゃない、と私は思っているの。
(後編につづく)
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2023年9月14日号