信長ほか戦国大名にならった秀吉の政策
まずは平均的な戦国大名の収益だが、この点については、貨幣経済史を専門とする川戸貴史著『戦国大名の経済学』(講談社現代新書)に「戦国大名にある程度共通した権益」として、以下のようなまとめがある。
【年貢】農林水産、牧畜業への課税
【公事】朝廷の行事に必要な物資や労働への課税
【段銭(反銭)】棟別銭など 国家的事業(内裏造営や遷宮など)の際に徴収した臨時税
【関銭/津料】道路や港湾の利用に対する課税
【その他】守護役(守護の場合)、軍役、陣夫役、普請役(いずれも労働奉仕)
武田氏や今川氏、毛利氏などはこれらに加え、鉱山を有していたから、その分だけ他より有利に立つことができた。
また、検地による課税額の再設定、城下町の建設に拠る経済の活性化なども、複数の戦国大名のもとですでに実施済みだった。最低でも一国を統べる戦国大名であれば、目の前の攻防だけでなく、富国強兵に気を配り、試行錯誤を繰り返していたが、そのなかから突出したのが織田信長だった。
信長の経済政策について、日本中世史を専門とする池上裕子はその著『織豊政権と江戸幕府 日本の歴史15』(講談社学術文庫)の中で、〈都市と流通の支配が莫大な収入をもたらし、政権の財政基盤となった〉と言い切る。
楽市楽座や関所の廃止は道路の整備と同じく、都市と流通を支配するための手段というわけである。
一方、豊臣秀吉の経済政策にはまったくのオリジナルはなく、すべては信長か他の戦国大名からの継承、または何らかのアレンジを加えたものだった。