脱資本主義的な行為が活況のわけ
しかし、このゲームを続けていくのはもう無理だと人々は秘かに思い始めている。そして、物的欲望を満たすことによって満足するというのとは別のゲームを一部の人たちははじめようとしている。豪華ホテルよりもソロキャンプ、タワマンよりも古民家改修、高級レストランよりも自炊、高級家具の購入よりも工具を使って自作、そして、強い刺激をともなうアクティビティよりも瞑想、といった具合だ。つまり瞑想は脱資本主義的な行為である。
実は僕はマインドフルネス瞑想、ヴィパッサナー瞑想を今年のはじめから実践している。最初、1日の瞑想時間は短く10分にも満たなかった。その後、徐々に増やし、いまは1日100分から120分間を瞑想にあてている。
最初の変化は聴覚において感じられた。音楽を聴いていると、オーディオ装置をいじったわけでもないのに、非常に音が鮮やかに聞こえる。気のせいかなと思っていたが、指導者に話すと「瞑想の効果としてよくあること」とのことだった。また、その後に徐々に集中力が増してきた。仕事に取りかかると気が散ることなく、気がつけばかなりの時間が過ぎていたということが多くなった。と同時に、心が落ち着いてきて、なにかが欲しいという気持ちはたしかに減じているような気がする。
こうして考えてみると、瞑想にはふたつの効果がある。ひとつは、心をチューンアップし、資本主義活動に効率的に参加できるようする加速の側面。そしてもうひとつは、欲望を減じること、つまり資本主義にとっては減速効果を持つリミッターの側面。つまり、瞑想は資本主義にとっては諸刃の剣だと考えられる。
ヴィパッサナー瞑想にはさまざまな効用があるという報告があがっており、現在この効用について科学的な説明もされはじめている(『科学化する仏教 瞑想と心身の近現代』碧海寿広著)。ただ、仏教における瞑想の目的は、そのような効用の恩恵に与ることではない。瞑想の究極的な目的は解脱(覚る)だ。釈迦の尊称は仏陀だが、仏陀とは「覚った人」という意味である。世界中の人が覚者を目指してガンガン瞑想すれば、おそらく資本主義社会は崩壊する(そして戦争もなくなるだろう)。そこに現れるのは、「物質的には貧しく低成長だが幸せな社会」だと想像できる。
「そんなしみったれた世の中は御免蒙る」という人も多いだろう。しかし、瞑想ブームは、高度資本主義社会がそのような仮想社会にまなざしを向けはじめていることを教えているのである。
※参考文献/『科学化する仏教 瞑想と心身の近現代』 碧海寿広著(角川選書)、『ブッダの瞑想法 ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』地橋秀雄著(春秋社)
【プロフィール】
榎本憲男(えのもと・のりお)/1959年和歌山県生まれ。映画会社に勤務後、2010年退社。2011年『見えないほどの遠くの空を』で小説家デビュー。2018年異色の警察小説『巡査長 真行寺弘道』を刊行し、以降シリーズ化。『エアー2.0』『DASPA 吉良大介』シリーズも注目を集めている。近刊に『サイケデリック・マウンテン』、『マネーの魔術師 ハッカー黒木の告白』など。