住まいは一戸建てから市営団地に移した。が、そんな状況でも歌は続け、保科は結果を出していた。『全日本ノンプロ歌謡大賞』(テレビ朝日系)の本戦に出場し、大手プロに誘われたのだ。ところが、彼女はそこで、「借金があるのでお給料が欲しいです」とストレートな返事をしてしまう。すると、スカウト話は立ち消えてしまった。
ここで保科は腹を決め、ある決意をする。自分のよりどころである歌を極め、歌で自分の将来を切り開いていこうと決めたのだ。彼女が上京したのは27才のときだった。
「母はそのとき乗り気ではありませんでした。少しずつ地道に働き、生活を立て直してほしかったんだと思います。私は『歌がうまくなって地元へ戻ってきたい』という夢を語りました。私なりに懸命に訴えました。それが通じたのか、母は『ようやく借金返済のめどがついてきたから、それなら1年間だけ』と期限付きで送り出してくれたのです」
(後編に続く)
取材・文/北武司
※女性セブン2023年11月30日・12月7日号
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