逆境の中で出会った夢グループ社長
とはいえ、ヒット曲のない無名歌手の現実は厳しい。ライブを行うにしても、会場やバンド手配、チケット作りや販売・入金管理、座席決めまで自分ひとりでこなした。
「後ろの客席になったお客さんには『今回はごめんなさい』と、フォローの電話を欠かしませんでした」
収入は給料でなく歩合制。実績なしで事務所に長く在籍するのは肩身が狭かった。事務所を3回変わった末に、保科はフリーでの活動を始めた。「収入が尽きたら田舎に帰ろう」と覚悟していた。
そうした自身が苦しい生活の中でも、保科は金沢で暮らす家族のことを忘れたことはなかった。
「父母が離婚し、私と妹は母の姓になりましたが、父のことはずっと気がかりでした。父はしばらく住み込みで働いていましたが、入退院を繰り返し、散髪代も私が支払うくらいでした。その後、がんを発病し、手術、入院。治ったと思ったら別のがんが発症して……本当に大変でした。
ただ、父は私にとっていわば“ルーツ”です。そのルーツがさびしい亡くなり方をするのは絶対にいやでした。父と母が離婚しても、父であることには変わりないから、ずっと支え続けました。私の芯の強さというか、逆境にあっても負けるものかと思う気持ちは、そうして培われたのかもしれません」
そんな日々を過ごしていたとき、彼女は知り合いのディレクターからある人物を紹介される。ホテルラウンジでのステージで、照明を落とした客席を巡る保科の前に、その男性は現れた。夢グループ社長・石田重廣──。彼との出会いが保科の人生の明暗を再び反転させることとなる。