流されない生き方を求め多様性を受け入れる
「相手との距離の取り方が巧みであること」も彼女たちの共通点だった。
「藤壺や朝顔の姫君はいくら口説かれても一定の距離を保ち続けたからこそ、光源氏は彼女らにいっそう恋心を募らせました。一方で光源氏の魅力にとらわれて振り回され、われを失う女性もいた。藤壺や朝顔の姫君に憧れながらもそうした女君たちに共感してしまう読者は今も昔も絶えないのではないでしょうか。紫式部はそうした女性の機微を非常に理解していた。
おそらく紫式部自身、同僚の女房たちとの間に一線を引いて『私は私よ』との態度を崩さず、堂々と物語を発表し続けた女性だったはずです。だからこそ、世の女性にも自分と同じ“流されない生き方”を求め、“多様な生き方があっていい”というメッセージを込めたのだと思います」
巧みに描かれたのは女君だけではない。
「紫式部は両性具有的な視点を持っていました」と語るのは『源氏物語』を現代語に訳した作家の林望さんだ。
「女性作家だから女心がわかるのは当たり前としても、彼女は男心も見事に描きました。例えば、光源氏の息子・夕霧の友人である柏木が、光源氏の妻である女三宮を一生懸命に口説いても彼女が思うような反応をしなかった場面で、頭に血が上って冷静さを失う柏木の心境を巧みに描写しました。ライバルとされる清少納言はあくまで女性からの視点で語りますが、紫式部はまさに両性具有で、どこまでも冷徹に男女の心を抉りだしました。
それができたのは、やはり彼女が現実の人間関係から一歩引いて、客観的に物事を見つめられたからでしょう。“名誉ある孤立”を厭わない孤高の女性だったと思います」
※女性セブン2024年1月18・25日号