株価が高騰し、人々が狂乱の宴に耽った1980年代以降のバブル期は、日本企業がその潤沢な資金力を背景に、M&Aで世界に打って出た時代だった。セゾングループ(当時の西武グループの流通部門)による英インターコンチネンタル・ホテルズの買収(1988年)や、三菱地所による米ロックフェラーセンターの買収(1989年)が知られるが、いずれも後に手放している。
一方、1989年に米ハリウッドの映画会社「コロンビア・ピクチャーズ」を買収したソニーは対照的だ。ハリウッドの名門の買収は、米国内で「アメリカの魂を買い漁った」などと非難された。
実際に経営は難航し、1995年には2600億円ののれん代償却に追い込まれたが、その後再建され、『スパイダーマン』『ダ・ヴィンチ・コード』など大ヒット作品を送り出し、現在もグループの事業を支えている。元日銀審議委員で名古屋商科大学ビジネススクール教授・原田泰氏が語る。
「1990年に松下電器産業(現・パナソニック)も米ユニバーサル(当時はMCA)を買収しましたが、5年で撤退しました。ソニーは吹き荒れるジャパンバッシングにも諦めずに“高い授業料”を払い、成功を収めています」
日本のゲーム文化を支えてきた任天堂もバブル期に飛躍した。1980年代のファミコン発売以前から米国に進出した任天堂だが、その名を全米に広げたのは1992年、米シアトル・マリナーズを買収したことだった。
米国にとって野球文化はハリウッドと並ぶ「聖域」で、当時、任天堂による球団の買収は大きな反響を呼んだ。同社社長の山内溥氏は球団オーナーとなっても経営には口を出さないという姿勢を示したが、日米の摩擦が強まっていただけに、周囲からは「リスク」を懸念する声が挙がった。